松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

天皇免責のための儀式

さて、戦後日本の枠組みを決めたのは東京裁判である。

東京裁判の最大の政治的な結果は、東條英機をはじめとする当時の日本政府および軍の指導者に戦争責任を集中させて、天皇を免責したことでした。法廷で東條が、日本の高官が天皇の意思に反する行動をすることはありえないという趣旨の発言をしたとたん、天皇に責任が及ぶのを避けるための工作が行われたことはすでによく知られています。その結果東條は、天皇は彼の進言でしぶしぶ開戦に同意したと証言することになったのですが、これはじつに象徴的なことでした。
高橋哲哉 p107「もう一つの「東京裁判史観」」現代思想8月号 isbn:9784791711673

戦争裁判に対して貴司令官が執られた態度につき、この機会に謝意を表したいと思います。
−−昭和天皇 マッカーサー元帥との第11回会見にて
(同書 p105)

「悪かったのは一部の軍国主義者であって天皇に責任はない。戦後日本で広く共有されてきたこの認識は、東京裁判の構図そのものです。」なぜそれはわたしたちにかくも広汎に受け入れられ、むしろ自然な事として忘却されるに至ったのか? この問いに答えるのはさほど難しくはない。
問題はわたしである。全体主義下の総動員態勢での戦い。皆が参加した。多少とも指導的立場にあったものの責任は存在する。インテリはすべて責任があるはずだ。しかしそうであればあるだけ「悪かったのは一部の軍国主義者であってわたしに責任はない。」と思いたいものである。天皇免責はまさに大衆(ちょっと知的な)のそうした無意識と完璧にシンクロした。
そして、輝かしいものとしての戦後憲法戦後民主主義が新しいモードとして、それに従っていれば保身できる価値として登場したのだ。
「後代の人々の翹望する絶対平和の福音書と目さるべき至高の価値を有する」極東国際軍事裁判公判記録が、純然たる体制派、保守派によって刊行された事情をわたしたちは確認しておかなければならない。(下記参照)
http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/Tokyo2.htm#tokyokohan


アメリカは天皇を含む日本の旧支配層と取引する中で、戦後体制を作り上げていく。
天皇憲法1条)とともに三位一体をなすと考えられるのは次の二つ。
−−憲法9条。日本の軍事的無力化。軍事的にアメリカの従属下に置く。
−−巨大な基地をすでに建設済みだった沖縄の非返還。
沖縄については、まさに天皇裕仁が「軍事占領を続けるよう希望する」とメッセージを出している。

1947年9月、当時の天皇のご用係だった寺崎英成がGHQのシーボルトに「琉球諸島の将来にかんする日本の天皇の見解」を伝え、それをシーボルトマッカーサー国務長官マーシャルにも伝えました。その内容はこうです。(1979・80国会議事録)「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう昭和天皇は希望する。天皇は長期租借による、これら諸島の米国軍事占領をめざしている。天皇の見解では、日本国民は長期租借によって米軍に下心がないことを納得し、軍事目的のための米軍による占領を歓迎するだろう。さらに天皇は、沖縄および必要とされる他の島々に対する米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借(25年あるいは50年あるいはそれ以上)の擬制(主権の実態は米国)に基づくべきであると考えている。天皇によると、このような、占領方法は、米国は琉球諸島に対して永続的野心を持たないこと*1日本国民に納得させ、これにより他の諸国、特にソ連と中国が同等の権利を要求するのを阻止するだろう。
高橋哲哉 p115「もう一つの「東京裁判史観」」現代思想8月号 

裕仁から一方的に発言したように書いてあるが、「長期租借」など実務的レベルのことを突然言い出すはずもなく、何度かのやりとりがあったのであろう(と思う)。傀儡の面目躍如。

*1:ママ