松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

赤っ恥!

 安倍ちゃんとネット右翼はその本質において、赤っ恥である。なぜなら、日本(=「特定アジア」差別)にしかその根拠がないので、国外で言論する根拠が全く不在なのである。であるのに自分の言説がアメリカでも通用すると思っている。世界に外国があるということを知らないわけだ。
まさか、そんな馬鹿な!?

 先日のisa訳『脱亜論』は、当時の時代状況についての知識を全く持たない人にも諭吉の真意だけは伝わるように、かなり強引に現代に引き寄せて訳したものである。ここで言う真意とは、つまり、根拠のない「アジア的ロマン主義」は捨てなければならない、ということだ。今日でも特に「左翼」の抱いているような「アジア連帯」などは幻想である。少なくとも大陸が大陸であり、半島が半島である限り、それは仮想敵として警戒する相手ではあっても、連帯を組む仲間ではありえない。日本が連帯すべきは欧米の文明国であって、大陸や半島ではないのだ、と。これが諭吉の真意であり、諭吉自身の深い反省に基づいたものだった。

大陸が大陸であり、半島が半島である限り、それは敵だと。では大東亜共栄圏はその根拠から間違っていたのですね?

(略)
そもそも、まだ文化人類学など成立していない時代である。シナ人がシナ人であり、朝鮮人朝鮮人であり、そして日本人が日本人であるという、その民族としての「同一性(アイデンティティ)」を成立させているはずの、諸民族の基礎的な「差異」を、当時の「学問」はまだ対象化出来ていなかった。したがって、当時にあっては、この「差異」は、現実政治や実際の事件に触れる中で学んでいく他はないものだった。それはまだ、「学問」の外の経験的なものに留まっていたのである。

文化人類学を学べば、支那民主化出来ないことが判明すると。(笑)

さて、現実に戻る。ここ二十年ほど、日本は右翼も左翼も中道も「アジア的ロマン主義」の虜になっていたのではないかと思われる。旧田中派による中国もうで、旧社会党による韓国もうで、果ては「北」との国交回復などという愚挙中の愚挙! 左翼的な言い方をすれば、これらの国との「同一性」など幻影である。もっともっと「差異」を見なければならない。そして「差異」をしっかり認識すれば日本の進路も見えてくる。諭吉の言う「脱亜」が極めて現代的な課題であることも。
http://suntetu.iza.ne.jp/blog/entry/253103

>>左翼的な言い方をすれば、これらの国との「同一性」など幻影である。
「北」との国交回復などと言っているのは偽左翼です。
北朝鮮人民にはヒューマニティ「同一性」が存在するので、契機さえあれば(日本を含めた数国が同意すれば)すぐ崩壊します。

丁寧に検討してみたが、無意味だった。今回のアメリカからの「攻撃」にどう向き合えば良いかが、書いてない。