松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

私が歴史する。

 最後に平泉先生は「我は歴史の外に立たず、歴史の中に生くるものである。歴史を有つものでなく、厳密には歴史するものである。」(五十五項)と説く。私達は日本に生まれ日本の気風を受けて育てられた。日本の歴史を真に理解出来るのは日本人である。日本人が外国に行き、その国の素晴らしさを目にし、それに触れることは出来る。しかし自らがその素晴らしさの源泉を体得し発露する事は全く容易には出来ない事である。何故なら彼、日本人はその国にあっては外国人だからである。清流を伝えるものはただ清流であり、炎は春風を伝える事は出来ぬ道理である。
http://shikisima.exblog.jp/m2007-02-01/#4627196
2月16日、皇国史観研究会勉強会

私は全共闘に生まれ全共闘の気風を受けて育てられた。なんてことはないのですが、わたしは全共闘の残りかすの時代に物心つき、うだつの上がらぬサラリーマンとして30年、何かしら〈68年〜69〉年性を恥じらい多い汚辱の経験も汲み上げる中で再構成したいとぼんやり考えて過ごしてきました。
平泉澄は極右ですが、〈我は歴史をもつものでなく厳密には歴史するものである〉、ってちょっと良いかもと。思いました。