松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

松平永芳宮司を「極右」とカテゴライズするのは、賀屋興宣(かや・おきのり)的なものとの対比においてである。

外国による裁きでなく「日本人は自主的に戦争責任を判断する必要がある。あれだけの日本の歴史に対する汚辱と、国民の惨害に対して、重大な責任者がないはずがない。私はその一人である」。日本人の手で戦争責任者を問えなかったことは「日本国民として遺憾千万」とも書いているのだ。
 遺族会の会長を引き受けたのは償いだったといい、遺族年金の増額などに腕を振るった。靖国神社の国家護持運動を進めるような時代錯誤の面もあったが、叙勲を辞退し続けるなど自責の念を持ち続け、77年に亡くなった。東条氏らが靖国に祀(まつ)られたのは、その翌年だ。賀屋氏がこれを知ったら、果たして何と言っただろう。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050616#p4

 ○○メモをめぐるいろいろな言及あまりチェックできていません。ただ強く感じるのが、“賀屋興宣的なもの”が日本からほぼ完全に失われたのだな〜 ということです。“賀屋興宣的なもの”は曖昧で、本音と建て前の使い分けといった日本的風習に親和的であり、敗戦によってその根拠を失った日本人がどうしても必要であったために広く受容したものです。
 日本人の過半がこれを受容した。裕仁天皇だけではなく、近年の読売新聞主筆渡辺恒雄氏や財界首脳による小泉参拝批判も“賀屋興宣的なもの”によるものだと言えるでしょう。
 ところがこの間の右翼的攻撃に洗脳された若い(50歳以下)の日本人はこれをまったく理解できず、“賀屋興宣的なもの”を左翼的なもの、親中国的なものと誤解してしまいます。