松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

故松平永芳氏は犯罪者だ?

1)首相の靖国参拝は政治的行為だ。
2)戦後日本には、ドイツのナチズム容認と同じように、政治的に許容できない一線がある。それを仮に大東亜戦争肯定論と呼ぼう。
3)戦後もずっと遺族たちの大部分は靖国神社に参拝し続けた。
それは2)のイデオロギーとは無関係な死者への追悼の思いである。
4)戦死者は戦後的価値観にもまれるという経験をする機会を奪われ、その意味では被害者である。
5)また、戦後的価値観からは正当性があまりない愚かな戦争に自らを捧げてしまった愚かな人、と評価されないものでもない。
6)ここで大東亜戦争の評価が問題になる。
A.間違った戦争だった。
B.従軍し戦うことは国民として当然のことである。「わたしたちのための犠牲である」戦死にけちを付けることは許されない。*1
7)B.が仮に正しかったとしても、少なくとも国際的にA.を撤回することは不可能である。
8)アメリカが小泉首相靖国参拝を止めさせないのは、それがアメリカの利益になるからだ。日中が永遠に離反していれば日本はアメリカに従属せざるをえない。
9)
1978年の松平永芳宮司によるA級戦犯合祀が、またまた問題になっている。
松平永芳宮司は自分のちんけな大東亜戦争肯定論イデオロギーにより、「天皇の合意」を得るという正当手続きを経ずにA級戦犯を合祀した。

10)これが事実かどうか? が第一の論点でなければならない。

昭和天皇が、A級戦犯合祀が行なわれる1978年の3年前に参拝して以来、靖国に踏み入れていないのだ。
 そこから色々調べてみると、靖国への合祀には天皇への「上奏(天皇への事情説明)」が必要なのに、靖国側はその手順を取っておらず、合祀を巡って天皇靖国の間に確執があった事が浮かび上がってきた。
http://blog.goo.ne.jp/asaikuniomi_graffiti/e/3fede30ef997afc56ba99b7e088382e0(浅井久仁臣)

そして、14人のA級戦犯が秘密裡に合祀された。 (同上)

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050616#p3

11)

筑波氏*2は自らが平和を愛すると同時に、昭和天皇の「内意」(ご意向)を重んじる人物だった。その昭和天皇は、A級戦犯の一部に強い不快感を持っていた。直接の発言こそないが、「内意」はA級戦犯の合祀に反対だったといわれる。
終生、合祀を認めなかった筑波氏が、この「内意」を意識していたことは間違いないだろう。
http://d.hatena.ne.jp/nenecoconeneco/20051102#p1

天皇の内意がどこにあったのか?は関係者の間では周知の事実であった。
12)
A級戦犯の合祀がヒロヒトの意志に反することを松平永芳は知りながら、なお合祀を強行した。「時の天皇が誤ったら「おいさめしてでも」正しく導く−−−という思想」によるものだと言う。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20051110#p3
13)
A級戦犯合祀が「A.間違った戦争だった」を否定する大東亜戦争肯定論であることは明らかだ。
松平永芳氏は宮司であるという立場を利用して、イデオロギーとは無縁の社会的勢力である靖国神社というものを、自分の極右イデオロギーの道具にした犯罪者である。

*1:わたしは必ずしもBを否定するものではない。Aを否定できないと考えるだけ。

*2:戦後長く靖国神社の最高責任者である宮司を務めた故筑波藤麿