松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

天皇の責任を忘れ去れない。

7/28朝日新聞の声欄に下記の投書があった。
筆者は「無職 本田立太郎 和歌山県みなべ町 92歳」とある。
本田氏は90歳を超えても各地で「戦争出前話」をするなどの活動をされている方のようだ。

 A級戦犯靖国神社合祀に昭和天皇が不快感を示していたというメモが報道され、話題になっている。
 そもそも靖国神社とはそれほど社会的意味を持つのか。国のために死んだというが、全国の空襲で死んだ市民も旧満州の野に果てた乳児も皆、国のために死んだ。軍服を着た者だけが国のために戦ったわけではない。近代の戦争は総力戦だと国が言ったではないか。
 戦時中、日本人は皆、死に物狂いだった。当時の植民地だった朝鮮、台湾の人々もそれに巻き込まれた。
 私も軍服を着せられ、友を失った。しかし戦友は靖国にはいないと思っている。戦争に駆り出されて殺された者が殺したやつらと同じ屋根の下にいられるはずはない。彼らは皆、故郷の自分の家の墓に戻っている。会いたければそこに詣でればよい。わたしは3人の亡き戦友の墓に詣でた。
 天皇A級戦犯をどう思おうと問題ではない。天皇自身の戦争責任を忘れ去るのはまだ早い。人間の道義に時効はない。


わたしは本田氏の意見に賛成だ。
天皇が退位しなかった効果として戦前と戦後の連続性が肯定され、戦後日本は(1条と9条の矛盾としての)「憲法」しかその根拠がなくなった。
日本がまともな国になるためには、今からでも天皇退位論を蒸し返すしかない。