松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

ましな待遇の場合

日本人は前借りがあって来たものが多かったが、半年で借金を返し、止めて食堂の経営を始めた。
P88 同書

1937年頃の状況。

ネットでのなかった派(歴史修正主義者)の唯一*1の証言は小野田寛郎のものだ。
http://www4.airnet.ne.jp/kawamura/enigma/2005/2005-01-16-onoda_ianhunoshoutai.html
小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」

 商社員として十七歳の春、中国揚子江中流の漢口(現武漢)に渡った私は、

1922年生まれの彼が、17歳とは、1939年頃ということになる。

日本人が本格的に慰安婦設置に乗り出した時期は1938年とされる。その前後の、日本人慰安婦の状況は「言われているほどひどいものではなかった」という小野田の証言は嘘ではないだろう。
 慰安婦が置かれていた状況にはピンからキリまであり、小野田の言っているそれはもっとも良かった場合に過ぎないということである。
小野田は1944年12月にルバング島に着任するが、ルバング島には慰安所はなかったのだろうか。いずれにしても当時の状況を小野田は知っている筈であるが語らない。

*1:ではないだろうが