松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

誰が東条英機を打つ権利を持つのか?

 私は私が犯した罪を含めて,多くの凶悪な犯罪はこうした共感・共生の疎外のつみ重ねの中で起こり,その真の原因はとうぜんそのそうごかんけいのなかにあり,したがってその責任はその相互的な関係責任の相において理解する必要があると考えるようになりました。そして単に私だけを愚かだとして責め負い目を持ち,沈黙しているようなあり方は、むしろ犯した罪に対する真の責任をとろうとしていないありかただと考えるようになりました。

 戦争責任とは何か、といった問いは抽象的でありレトリックでごまかすことができる。わたしたちはたとえ一度も見たことがなくとも、血の煙と血の味を忘れるべきではない。
 わたしたちは安達二十三中将を思い出す。昭和22年「その後部下の裁判も一段落した九月の深夜、収容所内で隠し持っていた錆びたナイフで型どおりの割腹の作法を行い、頸動脈を圧迫して自決を遂げ、散華したした部下の後を追った。」*1
と伝えられる。
 彼は何に責任を負ったのだろうか。

「皇国の全般作戦に寄与するため打続く戦闘と補給難に極度に疲れ飢え且つ衰えたる将兵に人として堪え得る限界を遥かに超越せる克難敢闘を要求し十数万に及ぶ将兵を失ひ而してその大部は栄養失調に基因する戦病死なるに想到する時」
*2

 十数万もの兵を食料補給なしに長い場合数年も熱帯の島にさまよわせひどい飢餓のうちに結局は死に至らしめた*3ことに対するトップ(指導者)としての責任であろう。
 安達中将の死は立派だと言える。しかし彼にはもっと困難な道を選んで欲しかった。ニューギニアの絶対的悲惨を、比較的のんきな内地にいた民衆に知ってもらい自らが負いきれない責任を国民の一部に分け与えることによってしかニューギニアのような余りにも巨大な悲惨=責任は背負いきれない。現に帰還者が多かったガダルカナルの悲惨に対し数百倍以上の規模を持つニューギニアの悲惨は、帰還者がほとんどいなかったがゆえにほとんど語られていない。


さて、安達中将の責任を考えることによってわたしたちは次のような教訓を得る。
○ 自らなしたことに対する責任は負わなければならない。
○ 自らなしたことは自己だけ出来たわけではない。したがってしたがって自らをとりまく<関係性の責任>も存在する。しかし責任転嫁のためにそれを問うということであってはならない。自分が沈黙することにより相手を含む関係性がより貧しくなってしまってはいけないという問題意識に立って、辛くとも率直に発言していくべきだ。


というふうに、冒頭の引用はそれが書かれた文脈をズラして、(大東亜戦争の)戦争責任という問題に適用しても意味をみいだすことができる。つまり自己の責任を深く感じて自決することは美しいことではあるが、相互的な関係総体に問題を押し広げそこを問うていくことなしには悲惨は解消される方向に一歩も近づかないのだ。トカゲのしっぽ切りに終わってしまう。こんにちの靖国神社のていたらくを見れば、安達中将はとまどいそして最後には、あっさり死んでしまったのは「むしろ犯した罪に対する真の責任をとろうとしていないありかた」だという厳しすぎる批判を受け入れるでしょう。


さて、冒頭の文章は加藤三郎氏のものです。
http://plaza.rakuten.co.jp/ssbdeva/diary/200403040000/
反日武装闘争の戦後責任(5続)-麻原死刑判決の後に - そよ風タンポポ・sb-野の花・野の豚・の自己研究と共生の道 - 楽天広場ブログ
加藤氏などは日本社会が戦争責任〜戦後責任という問題にきちんと向き合うべきだという強い主張を持ち爆弾闘争などの手段で社会にそれを訴えようとした。加藤三郎氏が立っている場所は、安達二十三氏とは全くちがう。
愛国という至高の価値への献身を唱える最悪の悪魔の勢力が広がっている現在においては、加藤氏を卑小なテロリストと切り捨てるのでなく、彼の率直な発言に耳を傾けるのは価値があることだと思う。

*1:http://www.eireinikotaerukai.net/E08Shashinkan/E080005.html

*2:http://www5.famille.ne.jp/~nagano_n/ireisai_houkoku01_2.htm

*3:上記サイトによれば「最終生存率は2.7%」。にわかには信じがたいこの数値は本当なのか。