松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

自棄を起こして

(gkmondさん 突然の引用失礼します。gkmondさんはネット右翼とは思っていません。)

つまりは「鬼畜米英」に対するイメージが固まっていた沖縄住人たちが、自棄を起こして集団自殺に及び、
http://d.hatena.ne.jp/gkmond/20050725/p1

そういうものの言い方はないんじゃないかな。当時の日本軍は「生きて俘虜の辱めを受けず」という命令を住民に強制しようとしていた。自決した住民たち(女性子ども老人が多い)は被害者であり、皇軍は加害者である。
軍人は「命令を出さなかった」と主張しているようだが、仮にそうであるとして彼らの存在が被害者を作ったという因果関係は明らかにある。
参考:林博史氏の論文「「集団自決」の再検討」 http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper11.htm 

語り継がれなければならなかったのは、戦争の悲惨さだけじゃなくて、間違った情報の生む悲劇までも含まれたはずだろう。戦意高揚のための情報操作が助かる道を考えられなくした結果が、集団自殺なのだとしたら、それを隠せばまた同じ事が繰り返されるかもしれない。
(略)
 戦後、日本は一貫して平和教育というものを行ってきた。戦争はいけない、戦争は悲惨だと叫んできた。だが間違ったデータで築かれた主義は結局破綻する。

「戦争はいけない、戦争は悲惨だと叫ぶこと」によって、ヒロヒトや東条以下沢山の人々の具体的戦争責任を追及せず免罪することをわたしたちは行ってきたのではないですか。
「間違ったデータ」とは結局のところ何でしょうか。ぶっちゃけたところ、「軍隊は国民を守るためにあるというがそれは嘘だ」、と多くの人が感じたことが、戦後平和主義の基礎だった。「戦後という呪縛からの解放めいたあれこれ」のどこに解放感を感じるのでしょうか。

 gkmondさんの「言論統制」という本の感想は偏見のない良い文章だと思いました。 

大東亜共栄圏という理想と、大陸へ進出していった日本人の横暴の両方が記録されているところは、実は読み落としてはいけない部分だろう。難しいことにウソの反対は本当ではない。
http://d.hatena.ne.jp/gkmond/20050720/p2

言説というものはどうしても目の前にあるウソを否定しようとする傾向から、完全に自由になることはできない。だからといって、右の反対は左、左の反対は右と裏返ってばかりではしかたない。
沖縄戦の悲惨」という事実をできるだけ過小評価したいという勢力に少しでも大義があるのかね。
日本は独立国として自衛の気概と国軍建設への自覚を持つべきだ、という意見は良いだろう(わたしは賛成じゃないが)。そのために必要なことは沖縄戦の事実を歪めることではないはずだ。再び同じようなシチュエーションに置かれたとしても数万人の住民を死に追いやることのないようにするにはどうしたらよいかという痛切な反省が必要だろう。「生きて俘虜の辱めを受けず!」という戦陣訓をまず否定しない人は、どうかしているとしか思えない。