松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

サバルタンは後藤健二の夢を見るか?

なぜ、彼らは死ななくてはならなかったのか?希望の光射す未来と無限の才能を持っていたのに。これから好きな女性ができて、結婚して、子どもを産み、家族を持てる十分な機会があったはずなのに。戦いに疲れ果てた人たちは口々に言う。「死んだ者は幸いだ。もう苦しむ必要はなく、安らかに眠れる。生きている方がよっぽど悲惨で苦しい」と。皮肉だが、本音だ。彼らは兵士でも戦場を取材するジャーナリストでもなかった。外国人と交流して異文化を味わうことを楽しみ、すべての時間を市民のために自分のできることに費やし、自分で思考錯誤しながら技術と得意分野を真っすぐに成長させて行った。


オマールはあの時何歳だったか?革命を信じたお子ちゃまカメラ少年は、いつの間にか生き生きした映像を録る勇敢なカメラマンになっていた。ISISに殺された。


そして、ハムザ。戦争孤児や貧しい家庭1,000世帯に、毎朝パンを届ける慈善団体を切り盛りする天才肌の若者だった。(2014年)7月10日、空爆の犠牲になった。
http://ipgoto.com/archives/1829

後藤健二のブログには、オマールとハムザという二人の青年の死が記されている。
オマールはISISに殺された。ハムザは空爆の犠牲になった。しかしどこの空爆だったかは分からない。シリア人かトルコ人かも分からない。イスラム国の近くの地域ではあろう。
このブログを書いた2014年7月11日に後藤氏がどこにいたのかは、今後分かるだろう。


後藤氏がなくなったらしい、というニュースを今知った。
私は少し前にこう書いた。

後藤健二氏が殺されないよう願う。多くのシリア人やイラク人は彼と違って世界中の注目なしに死んでいった。シリア人たちの死はあまりに多すぎて報道する価値はないのだろう。シリア人たちの死に目を少しでも向けさせようとした後藤を殺すことは、シリア人たちを二度殺すことだ。

オマールとハムザという二人の青年の死、彼らは逆境にあってもなお「外国人と交流して異文化を味わうことを楽しみ、すべての時間を市民のために自分のできることに費やし、自分で思考錯誤しながら技術と得意分野を真っすぐに成長させて行く」能力をもった稀有の人物だった。彼らについて分かることはこれだけしかないが本来後藤は彼らのことをもっと書きたかっただろう。*1その機会は失われてしまった。


私たちは後藤健二を悼む。
そして、オマールとハムザに対する悼みの不在を、それと同等に記憶したい。

*1:ひょっとしたら何か残されているかもしれないが