菅首相はリーダーシップを取った。
保安院と東電が判断を誤った。
この記事からはそう読み取れる。
「いつまで保安院・東電・官邸のダメトリオにやらせるのか?」
と、私は書いたが、一番言いたいことは「(1)原発推進という立場やイデオロギーに囚われている人たちは、その傾向性によって事故や事故対策への評価に歪みが生じる。また情報公開や住民への警告(避難勧告を含む)などの政策にも。これは実際に実害を及ぼした。」である。
菅首相は別に「原発推進という立場やイデオロギーに囚われてい」なかったであろう。彼のリーダーシップが時として誤っていたとしても、それは誰においても避けられないことだったかもしれない。
私は「原発推進という立場やイデオロギーに囚われている」人や組織を一旦権力から排除すべき、と強く主張したい。
したがって、新しい「強力な対策本部」のトップが、菅首相であっても良いことになる。
11日午後8時30分、2号機の隔離時冷却系の機能が失われたことが判明する。電源車を送り込み、復旧しなければならない。「電源車は何台あるのか」「自衛隊で運べないのか」。首相執務室にホワイトボードが持ち込まれ、自ら指揮を執った。
官邸は東電役員を呼びつけた。原子炉の圧力が上がってきたことを説明され、ベントを要請した。しかし東電は動かない。マニュアルにはあるが、日本の原発で前例はない。放射性物質が一定程度、外部へまき散らされる可能性がある。
「一企業には重すぎる決断だ」。東電側からそんな声が官邸にも聞こえてきた。復旧し、冷却機能が安定すればベントの必要もなくなる。
翌12日午前1時30分、官邸は海江田万里経産相名で正式にベントの指示を出した。だが、保安院は実際に行うかどうかについて「一義的には東電が決めること」という姿勢を変えない。国が電力各社に文書で提出させている重大事故対策は「事業者の自主的な措置」と位置づけられている。
「東電はなぜ指示を聞かないのか」。官邸は困惑するばかりだった。首相は「東電の現地と直接、話をさせろ」といら立った。「ここにいても何も分からないじゃないか。行って原発の話ができるのは、おれ以外に誰がいるんだ」。午前2時、視察はこうして決まった。
事故を防ぐための備えは考えられていた。しかし、それでも起きた時にどう対応できるか。班目委員長は取材に「自分の不明を恥じる」と言ったうえで、こう述べた。「その備えが足りなかった」
http://mainichi.jp/select/today/news/20110404k0000m010149000c.html