松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

すべてを新しい方法で、創造的な方法で考え直すことができる

 ----問題は、この事故を受けて、エネルギー政策をどう考え直すかということです。いままでの議論は幅が狭かった。原子炉をどう守るかという議論ばかりしていましたが、今回の使用済み核燃料の問題は、「使用済み」という言葉と裏腹に、非常に危険で取り扱いに注意を要するものだということも分かりました。


 ----個人の人生でもそうですが、国や社会の歴史においても、突然の事故や災害で、何が重要なことなのか気づく瞬間があります。すべてを新しい方法で、創造的な方法で考え直すことができるスペースが生まれるのです。関東大震災、敗戦といった歴史的瞬間は、こうしたスペースを広げました。そしていま、それが再び起きています。しかし、もたもたしているうちにスペースはやがて閉じてしまうのです。既得権益を守るために、スペースをコントロールしようとする勢力もあるでしょう。結果がどうなるかは分かりませんが、歴史の節目だということをしっかり考えてほしいと思います。----
http://lastinghours.jugem.jp/?eid=1215

ジョン・ダワー氏の朝日新聞のインタビューより。


原発事故というのはなんでこんなにやっかいなものなのか、まるで地獄の蓋を開けたようだ。


で、それは最初から分かっていたこと。
それを絶対にありえないこととしてタブーにしてきたのは、原発推進勢力の権力的言説遂行の卑小にして膨大な積み重ねである。
このような不自然な思考の枠組み(イデオロギー)はすぐにでも崩れるべきだった。だのに今だに崩れていない。


ここでジョン・ダワーが言っていること、<創造的な方法で考え直すことができるスペースが生まれること>と<それが閉じられてしまうこと>、は、下記で松下が言っていることに近い。

 この一年間の変化の根底にある何かをヴィジョンとして把握するための媒介として、地震とオウムを設定してみると、一年前の、これからどのように事態が展開していくかについての、いわば未知なるものへの怖れがあったとして、一年後の現在は、これからの事態がかなり既成の価値判断で予測可能な、いわば既知なるものへの安心ないし諦めが生じているのではないか。
これとよく似たパターンを想起すると、一つは45年の敗戦直後の日本は歴史から抹殺され、国民はみな戦勝国の奴隷にされるかも知れないという恐怖から、46年のアメリ占領政策の賛美に近い風潮への変化であり、もう一つは69年の全国の主要な大学のバリケード封鎖(の象徴としての東大の入試の中止)による全ての学問〜教育体制にとどまらず知識〜文明体系の転倒を予感した者たちの全社会的規模をもつ姿勢から、70年の生活の条件をととのえるために既成の秩序を部分にせよ必要とせざるをえないという、ためらいを含む不可避的ななだれ現象への変化である。
 95年から96年の変化は、前記の変化に匹敵する質を帯びているのではないか。


・六甲大地震の痕跡は次第に消去され、人々は地震などなかったかのように生活し続け、地震前の文明〜発想体系が支配的になっている事態に耐えることさえ忘れかけている。
・オウム裁判の進行を季節の移り変りのように感受している人々は、現在の情況が、サリン〜<幻の11月戦争>以降のネガであることを考えずに日々を過ごしている。
http://666999.info/matu/data/b02jo.html (概念集・別冊2 序文)


<いわば未知なるものへの怖れ>と<既知なるものへの安心ないし諦め>という二つの位相を松下は取り出す。
それは<45年の敗戦直後の混沌>と<46年のアメリ占領政策の賛美に近い風潮>*1 に等しい。
また、<69年の全ての学問〜教育体制にとどまらず知識〜文明体系の転倒を予感した運動>と<70年の生活の条件をととのえるために既成の秩序を部分にせよ必要とせざるをえないという敗北>の位相差にも等しい。
それはさらに、<当事者になりうる位置での苦痛の感覚>から<傍観者の位置での対立ないし拡散>へ、とパラフレーズされる。


確かに、2011.3.11の地震直後私たちが驚いたのは、遠く離れた海外の人々もが、地震津波の災害を見て、他人事では無いと感じて支援の志を伝えてくれたことだった。
2ヶ月近く経つ現在はどうか。災害に加えて、原発問題が毎日重苦しくのし掛かっている。それは知識〜文明体系の転倒という問題意識を持つ私のような者にとっては、チャンスと考えられた。原発推進勢力を批判しつくし権力の場から排除していく運動に大衆を獲得していくことを第一歩として考えていくことができるのだから。
原発という問題を解決していくためには、問題を政府や権威者に任せきってしまわないで自分で考えることが必要だ。民主主義とは最初から、その困難とその中にある喜びのことだった。わたしたちがそのことに気づくなら、<すべてを新しい方法でで考え直さざるをえない>という事の第一歩に立っているのだ。

*1:口先で賛美しておれば旧戦争推進勢力も生き延びられるという安心感