松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

石井光太『神の棄てた裸体』

石井光太『神の棄てた裸体』は名著だ。
イスラームの(存在しないはずの)売春婦たち、それぞれの国の、を描いている。彼女たちはむしろ娼婦ですらない。つまり商売として身体を売っているのではない*1。そうしないと生きられない、金銭的に、他の生き方がない、また、一時的なぬくもりと承認を求めてしまうといった性格ですらある。


石井は彼女に肉薄し、彼女をなぐさめることができる。彼女に惚れられる、しかし石井は彼女と関係を取り結ぶことから逃げる、それは不可能だから。存在のある領域を性的領域として全存在領域から切り離し考察可能だとするフロイト以後の常識とは別の世界で彼女は生きているのだから。というかもっとずっと前、娼婦が職業として成立した文明の成立以後の常識とは別の存在様式。
性別二元論は実は近代を前提にしている。女も男も村(共同体)や家族から離れても個人として生きていけるという巨大な虚偽を前提にしている。イスラーム社会では一部の都会を除きその常識は通用しない。少女あるいは女は村や家族から外に出ると生きていけない。ヤクザなネットワークに囲い込まれて底辺層の売春婦になる以外に。


最初に出てくるのは、エパという13歳の少女。

彼女の出身地はスマトラ島アチェである。イスラームの戒律が厳しく守られている保守的な土地柄だ。この地では長年、紛争がつづいていた。地元のゲリラが独立を求めて立ち上がり、それを政府軍が力ずくで抑え込むという構図である。
紛争でエパは両親を失い、三歳で孤児になったという。(略)*2

エパはスラムの売春婦だ。

「けど、それ以前も似たようなものだったわ。田舎にいた時によく、兵隊さんにやられてたから」
「兵隊って政府軍? それともゲリラ?」
「どっちもよ。それが当たり前だったの。兵隊さんはいつも怒っていて、森で女を見かけるたびに押し倒していたわ。村の女たちは抵抗すると殺されるから、黙っていうなりになっていた。そうしなきゃいけない雰囲気だったの」
「みんな、慣れてたってこと?」
「慣れるわけはないわ。何度やられても怖いし、苦しいし、痛い。それに公衆便所のように扱われるのがとっても辛かった」*3

アチェの少女がみんな襲われるわけではなかろう。エパは孤児で最も弱い立場、そのような存在はそうした目に会う。
エパはむしろその境遇から抜け出すために、スラムの売春婦になっていく。


彼女のような人に対し何が言えるだろう。助け出すことはできない。*4
「通り一遍にみれば、ほとんどの人が、浅はかだとかかわいそうだとかいう言葉を口にするだろう。」
しかしそれは彼女のあり方と私のあり方のあまりの落差を、無効と知りながら埋めようとしているだけだ。


極限的な人生のあざやかな断面が、頁を繰ると次々に現れる。その国で長い間暮らしても普通に暮らしてれば一生出会うこともないような、本当のサバルタン。出会った石井が本にし、それを私が読んだからといって、分かったり共感したりはできはしない。
しかし彼女たちが健気に生きていることを知ることはやはり、私にとっては喜びだ。*5

メモ

外国人が半年やそこいらイスラム圏をめぐっただけで、こんなにドラマティックな出来事に遭遇するかね、という印象がどうしても拭えない。
http://d.hatena.ne.jp/guzuvich/20100824

そういう気もする。

*1:自己の一部をプロデュースして商品化しているのではない

*2:p18 同書 isbn:9784101325316

*3:p22 同書

*4:そう断言すべきではないが、私にそうした機会があり努力したとしても、幾多の困難を乗り越えないとできない。

*5:この本では少年もみなそうした境遇に置かれている。またヒジュラやレディーボーイもでてくる。色々な立場があるが、存在論的にいわば同じ境遇に置かれていると考えあえて、「彼女」いう表記で書いた。