松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

自己と、その存在基盤を変革する可能性

先日、松下昇の下記の一文を引用した。

 いま自分にとって最もあいまいな、ふれたくないテーマを、闘争の最も根底的なスローガンと結合せよ。そこにこそ、私たちの生死をかけうる情況がうまれてくるはずだ。
http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/matu1.htm

重要性(対自己性)/緊急性(外的要因) という図にむりやり当てはめると、重要性(対自己性)というベクトルにおいて、非重要(どうでもいいと思っている)のうちに、実はそう思いたいだけで自己の存在を危うくするから必死に隠蔽しなければならないことがらがある、と。社会活動するとしても、そうした隠蔽してしまうひそやかなダイナミズムと結合することではじめて、大きな力を持つ。謎めいていますがそのようなことを言っています。
 
つまり、外からの要請と内からの欲望その食い違いに人は意識を集中するものだが、そうであるかぎりおそらく敗北は必至だ。
孟子が言ったように相手が変わるためには自己が変わらなければいけないし、相手との関係においてその核心を外さずに(誠を尽くす)自己を主張していけば相手は変わらざるを得ない。儒教的には私が私の私的利害・私的欲望を離れることで公平な立場に立つことが、前提になる。


しかし松下が興味深いのは、私的欲望を捨てろ、とは言わないところである。

  〈スト〉に入る契機自体よりも、一ケ月以上にわたるスト持続によって、一切の大学構成員と機構の真の姿がみえはじめ、同時に、自己と、その存在基盤を変革する可能性がうまれていることの方が、はるかに重大なのだ。

大学闘争という秩序壊乱は、いままで重視していた日常のルール・常識が絶対的でないことを明らかにした。世界平和、民衆の幸せのために学問はあるべきなのにそうなってない、疎外された学問、疎外された自己、そのように現状を認識する。そしてそのような自己を否定する。これが「自己否定」というスローガンであった。
ところが実際には否定するだけでは、行き詰まってしまう。
これについて文脈を飛び越えて、次のtummygirlさんの文章(断片)を引用する。

バトラーがそういう話をしている、あるいは書いているときというのは、甘っちょろい言い方になるけれども何か特別な生命がそこに吹き込まれているようで*8、パッシブな側面とか「わたし」の被傷性とか他者の承認への存在の根幹における依存とかという話をしていても、なぜか「いまだ存在しない関係性」に向けて飛翔!みたいな、異様にアクティブな気分になってしまう。少なくともわたくしは。けれども冷静に考えれば、やっぱりというか従来どおりというか、そのような傷つきやすい存在が抹消されてしまう危険に直面している個々の「わたし」がどのようにして「いまだ存在していない関係性」や「いまだ名づけられていないわたし」へ向けて他者への誘いかけを広げることができるのか(あるいはそもそもいかにしてそのような想像が可能なのか)、という点に関しては、バトラーは当然のことながら単一の安易な解答を与えてくれているわけでは、ない。
http://d.hatena.ne.jp/tummygirl/20060117

「いまだ存在していない「わたし」との関係性への誘いかけが他者に承認されない限り「わたし」は生存できない」、という文章を読む方法は二通りしかない。そうか「わたし」は生存できないと納得するか、それとも、〈いまだ名づけられても存在してもいない、つまりいまだ空想的なものであるような新しい関係性を他者に誘いかけるもの〉そうしたベクトルを、強度として光としてすでに感受してしまったものとして読むかの、二通り。
で、松下昇は後者の代表選手であるわけです。


で、それだけでは無意味。抽象がひからびたまま存在しうるのは論文の上だけである。抽象はみずみずしく生き始めないと。
「 いま自分にとって最もあいまいな、ふれたくないテーマを、闘争の最も根底的なスローガンと結合せよ。」
ガザの人々の困窮も北朝鮮の人々の飢餓も、それだけではわたしたちの問題にはならない。わたしたちは自由である。平明に。
 
わたしたちは自由である。平明に。というのはある抽象的空間を私が設定したというにすぎない。ガザからの問いかけは、辺野古からの問いかけ同様、米国と同盟関係を持つ日本の主権者であるわたしには、無関係とすることはできないものである。にもかかわらずわたしはそれに過剰に関与しなくても良い。
 
自由であるという発語条件を厳密に求めつづけることにより、逆に「関係性」の拘束を確認する。わたしがしたいことはそういうことではない。
にもかかわらず自由だ、と確認することで、その自由が〈何かを強度として光としてすでに感受している 〉事態であるはずだ、と言いたいのだ。