「抑圧的なイスラム」という神話の再生産
tummygirlさんへの応答の一部として書き始めたのだが、まとめられないので、まったく混乱のまま別記事として挙げておきます。
最後に、岡真理の本の一節を引用したい。
サアダーウィーは「イブの隠れた顔」のなかで繰り返し強調している。
欧米の女たちは、我々アラブの女たちの生活を、中世的制度への絶えざる従属と考えがちである。そして、女子の割礼のような、儀礼や伝統的風習のいくつかを糾弾する。犠牲者を守るために、ごうごうたる非難の声をあげ、長い論文を書き、大会で演説する。もちろん、女子の割礼が告発されるのはよい。しかし、そのような行動に専念することによって、社会的・経済的な変革という真の問題を回避し、さらには忘れてしまう危険性がある。
p75 「彼女の「正しい」名前とは何か」isbn:4791758412
そのことはよく分かっていると言われるでしょうから、この引用はむしろ私のためです。
イラン当局から迫害される危険性があるイラン人同性愛者を救援する時、その当事者にとってそれが正義でありしたがって普遍的にも正義であると言いうる、そうした場合。それにもかかわらず、それが報道されニュースとして欧米の市民に供給される過程で、イランの未開性を物語るエピソードとして消費され、「抑圧的なイスラム」という(シオニストに都合が良い)イメージを強化する役割を果たしてしまう。*1
そのようなことも否定できないか? と思いました。
北朝鮮当局から迫害される危険性がある北朝鮮人脱北者を救援する時、その当事者にとってそれが正義でありしたがって普遍的にも正義であると言いうる、そうした場合。それにもかかわらず、それが報道されニュースとして日本の市民に供給される過程で、北朝鮮の未開性を物語るエピソードとして消費され、「抑圧的な北朝鮮」という(レイシストに都合が良い)イメージを強化する役割を果たしてしまう。
と「置換」すると、私には到底承服できない文章になります。*2