松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

認識空間上の「強大な隔離壁」

@noharra ご返答ありがとうございます。こちらこそ乱暴な物言いで失礼いたしました。ただ、やはりnoharraさんとは、そもそもの発端であるイスラエルの問題それ自体についてというより、「極限状態」の認識に関して、意見が異なっているのだろうとは思います。

えーとわたしが「極限状態」と言い出した動機というか根拠みたいなものを、改めて書いておきたいです。(わたしは書きながらあるいはその後も考えるので、主張がズレていくことがありますが、ご容赦ください。)
「極限状態」をなぜ想定すべきかというと、「認識空間の歪み」という問題があります。

歪みのひどい眼鏡をかけて世界を見ていると、見えない部分が生じてしまいます。第三者から客観的にはそれは存在するのですが、眼鏡をかけた私自身には実感できません。わたしたちはそれを欠落させた上で残りのものを集めて普遍であると考えて生きているのです。
で残念ながら、私たちはすべて「歪みのひどい眼鏡をかけて世界を見ている」というしかない。どの立場からそう言いうるのか、はしばらく置き、私はそう思っています。

@tummygrrl はい、こちらからも確認させてください。その「問題」を語れるのは当事者です。外部の者が一方的にまた勝手に、自身の問題意識で当事者を代弁することは当事者の語る立場の収奪です。「ガザのゲイはかわいそう」みたいな言説は、ガザのゲイが言うのでない限りは支持できません。 http://twitter.com/nofrills/status/15394255440
@nofrills はい。その点において異論はありませんし、「ガザのゲイがかわいそう」と言う理屈で(と言うかどう言う理屈であれ)侵攻を容認する立場を支持した事もありません。 http://twitter.com/tummygrrl/status/15394692758 10:19 PM Jun 3rd

でも厳密に言うと当事者が語れば何でも支持できるかと言えばそういうわけでもないのだけど。とは言え、とりあえずパレスチナレズビアンは「性的マイノリティの問題は後回しで良い」とは語らず、「それを口実にした米国やイスラエルの戦略に乗るな」と語っていたわよ。
http://twitter.com/tummygrrl/status/15417001844

tummygirlさんはパレスチナレズビアンにお会いになったのですね。〈あの強大な隔離壁を越えていくつものチェックポイントを越えて〉出会いがあった。実際に会って分かることというのはすごく沢山ある。むしろ分からないはずの、その相手の微細な人間性みたいなものまで分かってしまうことがある。一方で、その巨大な隔たりの方がむしろ見えないもので在りつづけるかもしれない。(実際に出会わなくとも他人が撮ったビデオやメールなどでもある程度は同じことが言えます。)

そうであるとしても、強大な隔離壁の向こうとこちらでは存在様式の落差があるわけです。自分の透明であるしかない認識空間には「認識空間の歪み」が存在するだろうと想定するべきでありましょう。

わたしが「極限状態」と言ったことを根拠にはそうした理由が在ったわけです。

D1「セクマイ差別は「衣食が足りている場合」にだけ主題化されることがあるテーマである。」
については、一旦撤回します。

D3 壁の向こうに住んでいる人におけるセクマイ差別は、〈幻想空間の湾曲をくぐり抜けた後にだけ〉主題化されうるテーマである。

に変更します。

ただ、そのような「極限状態」を安易に想定する事で、生に対する脅威が あるいはその脅威を回避するためのコストが、まさしくそのような差別構造に沿って不均等に配分される状況を黙認してしまう危険性も、あるだろうと思っています。
http://twitter.com/tummygrrl/status/15446631175

ちょっと文章を正確に読み取れているかどうかわかりません。「極限状態」と言えばその対応策として、すぐに国連による食料援助を思い浮かべることができますね。援助された例えば小麦粉や油が、権力者(北朝鮮の場合ではまさしく国家)によって横取りされてしまう危険性は常にありますね。

パレスチナで実際にフェミ/クィアの活動がある(と私は聞きました)時にその状況を社会的差別の問題が宙づりにされるような「極限状態」とみなす事は、それこそ「外部」からの不当な代弁/表象の逆のパターンに過ぎないように私には思えます。
http://twitter.com/tummygrrl/status/15446792681

そのとおりですね。

正直に申し上げれば、挙げて下さった北朝鮮のケースも、まさしくそのような不均等なコスト配分の例に私には思えますが、この点について私は北朝鮮の女性達の言葉を直接見聞きしていないので、それ以上の事は言えません。
http://twitter.com/tummygrrl/status/15446991323

不均等なコスト配分そのものですね。
で私がなぜこれを「例」として挙げるのが適当と考えたのか。
「私は北朝鮮の女性達の言葉を直接見聞きしていない」と言われますが、間接的には見聞きされたことがあるのでしょうか。
 
「脱北して中国に潜んでいる脱北者は女性だけでも10万人近く存在しているようです。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20100604#p3 に触れたように彼女たちはほとんどが人身売買状態で生存を続けています。10年近く続いていることのようですが、私が知っている限り、この問題に取り組んでいる日本人フェミニストはいません。(野原)」
ここにあるのは、別の問題です。だが私が主張したいところの「認識空間の歪み」のもう一つの顕著な例として存在します。

ですから、「問題を持ち込むこと」ではなく「いかに持ち込むのか」が問題なのです。「フェミ/クィアの問題に対する鋭敏さ」は、それが「(パレスチナの)当事者」によるものでなくとも、常に利用されるものでも常に問題であるわけでも、ないはずです。
http://twitter.com/tummygrrl/status/15447523926

おっしゃるとおりだと思います。