松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

「ヒロシマからのメッセージ」

 「自分が生まれた土地で平和に暮したいと願っているあなたたちパレスチナ人たちは、なぜ抑圧されなければならないのでしょうか。
 抑圧の苦しみを、その長い歴史のなかで知り尽くしているはずのユダヤ人たちが、なぜもう1つの民族パレスチナ人を抑圧できるのでしょうか。人びとはみな、自分が生まれ育った土地に住む権利があります。この生存権を犯すことは大罪です。
 私はアメリカ政府が落とした原爆の被害者です。パレスチナ人のみなさんの心と身体の苦しみを想うと、私の身体と心が切り刻まれるような痛みと怒りを感じます。
 ユダヤ人のみなさんに訴えます。パレスチナ人のみなさんが人権を取り戻せるように協力してください。そしてまたイスラエルから原爆を亡くすようにたたかってください。
 心の鎖で結び合い、共存のためにいっしょにたたかうパレスチナ人のみなさんとユダヤ人のみなさんに、神の恵みがありますように」
http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080509.html

 前出した被爆者、富永初子さんは長崎生まれのカトリック信徒だった。どうしても聖地を訪ねたいという富永さんを、私はパレスチナイスラエルへ案内した。1987年の夏のことである。(略)
 夜、イスラエル国内のパレスチナ人とユダヤ人、占領地のパレスチナ人、そして外国人参加者など数千人が集う野外集会のステージで、富永さんは「ヒロシマからのメッセージ」を読み上げた。(同上)

戦後長いこと日本で生きているが「ヒロシマからのメッセージ」に感動したことは今回がはじめてだ。
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*1:富永初子さんには失礼だが、次の問は当然起こりうる。つまり村上はエルサレムに行き良心的スピーチをすることでイスラエルの寛容さのアピールに加担した。富永初子さんイスラエルに行き良心的スピーチをすることでイスラエルの寛容さのアピールに加担した、ことにならないか。それはならないでしょう。国家的賞を国民的作家が受賞することと、国家の片隅の反体制的みたいな集会での発言はまったく位相が違う。