松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

過去のスターリン主義と進行中の新スターリン主義

進行中の新スターリン主義は決して過去にならない、とデリダは言っている(のだとわたしは思う)。
マルクスは終わった、とはパロディにすぎない。なぜなら、わたしたちはいつも「〜は終わった」と言いつづけてきたのだから。
偉大な先達。−−歴史の終焉、人間の終焉、哲学の終焉、ヘーゲルマルクスニーチェハイデガー、さらにはコジェーヴ、そして遺言補足書

 一方でそれは終焉の古典と呼べるような人々の読解と分析であった。それらは近代的な黙示録の規範を形成していた。(略)
他方で、しかも分離不可能な形で、それはずっと前からわれわれが知っていた、あるいはわれわれの一部がもはや認めざるをえなくなった、東側のあらゆる国々で行われていた全体主義的テロル、ソビエト官僚主義の社会的−経済的側面におけるありとあらゆる破綻、過去のスターリン主義と進行中の新スターリン主義(おおざっぱに最低限の指標に話を限るならば、モスクワ裁判からハンガリーにおける弾圧まで)であった。おそらくこれこそが、脱構築と呼ばれるものがそのなかで発展したエレメントであったのだ−−そしてこの歴史的な絡み合いを勘定に入れない限り、特にフランスでは脱構築のこの契機を理解することは不可能である。したがって、この特異な時間を、この(哲学的であると同時に政治的でもある)二重にして唯一の経験を私と共有した人々、思い切ってこれらの人々のことを<われわれ>とよびたいのだが、(略)
(不正確な引用)p47 『マルクスの亡霊たち』isbn:9784894345898

 結局のところ、ヨーロッパとは、即ちヘーゲルマルクスによって約束された未来とは、ただの虚しい夢、いやそれどころかもっと悪いもの、血みどろの悪夢だった。それはいやいやであっても認めざるをえない事実として存在している。これは事実であって同時にそれより重い物、神学的なまでの絶対性である(なければならない)ことはこの血みどろの悪夢のもうひとつのヴァージョン=ホロコーストにおいて、わたしたちも観察し理解することができる。

 それは決して一部の観念的な人々のかっての信念といったふうに軽く扱われてはならないだろう。20世紀の過半を支配した巨大な思想〜運動であったのだ。わたしたちはその中でもがいていた。つまりわたしたちはそれをそれとして対象化することなどできず、見当違いに、妄想にさらに悪いパッチを当て、観念と現実の距離を錯乱させることにより逃げきろうとしていたのかもしれない。
しかしデリダはあえてこう語る。「それはずっと前からわれわれが知っていた、あるいはわれわれの一部がもはや認めざるをえなくなった」ところのものだった、と。ジイドの 『ソヴィエト旅行記修正』が出たのは1937年だから「それはずっと前からわれわれが知っていた」と言わざるをえないものだったのである。

ハンガリー事件をハンガリー動乱と呼ぶのか、ハンガリー事件と呼ぶのか、はたまたハンガリー革命と称するのかはこれらの動きと密接に関係がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ハンガリー動乱

にもかかわらず1956年にハンガリーの事件を革命と呼ぶためには命懸けの覚悟を必要とした。あまりにも反デリダ的修辞で恐縮であるが、この命懸けの覚悟のリアリティの共有者に対して、デリダは思い切ってこれらの人々のことを<われわれ>とよぶと言っているのだ。