松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

マルクス主義のただ中から生まれた

脱構築は、マルクス主義の知的風土に根ざし過ぎた人々とは一定の距離を置いて展開されていたということである。

さて、この本の訳者の増田一夫氏はこの本の後書きP420で上のように書いた。この一文は端的に間違っている。
だいたい「マルクス主義の知的風土に根ざし過ぎた人々」とは何だ。筆者の逃げ腰が最初からあらわではないか。
(そういう風に語るとすれば)マルクス主義の血みどろの内紛そのただ中、その根っ子から、脱構築は生まれたんだ、とデリダははっきり書いているではないか。