松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

2009-03-07から1日間の記事一覧

誤っている人びとが存在する

他者についての定義はまったく異なっています。他者は必須の親族ではありませんが、そうなる可能性がある隣人です。またこの意味で、あなたが他者を受け容れれば、隣人をも受け容れていることになるのです。しかしあなたの隣人が他の隣人を攻撃する、あるい…

他人/他我

えーと、デリダの「暴力と形而上学」という論文をよんだけど難解でわたしにはちょっと無理だ。でもちょっとだけ引用でもしてみよう。 レヴィナスのフッサール批判。他人を他我とすることは他人の絶対的他者性を中性化することになる。*1 フッサールにとって…

そこに(ある)

このようにあらゆるものを想像のうえで一掃した後に残るのは、何かあるもの(ケルクショーズ)ではなくて、イリヤ il y a (がある、それがそこにもつ=ある)という事実である。あらゆるものの不在が、ひとつの現前(プレゼンス)として、つまり、そこです…

ガザ 2009年1月

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