松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

どのような選択をしようと天皇家が普通の家になることは少なくとも今はありないでしょうね。ただ天皇制という言葉で、ずっと一応続いてきたそれと明治政府が作ったそれ(の一部)と戦後憲法に規定されたそれが一体の物として理解されている。非常に無理な理解が「象徴」の名の下にいわば国民に強制されているのにかかわらず、国民は文句を言うすべを奪われている、ように感じます。それがひいては皇族を存在論的矛盾にさらしてしまう。憲法から天皇条項をなくしたからといって天皇家がなくなるわけではない。裕仁天皇は戦争責任において有罪だとわたしは思うが、そうだとしても天皇家がなくなるわけではない。右派の人も本当に伝統について考えているのなら縮小され自由になった天皇家とともに、静かに伝統文化を広げていけば良いのではないかと思います。(野原)

(2/12追加)