松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

雨師(うし)として祀り棄てなむ

タイムラインで雨師という言葉を見た。雨をつかさどる神。山中智恵子に天皇を雨師とよんでいるうたがある。気になっていた。
http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/ChiekoYn/YamanakaChieko06.htm
に紹介がある。
昭和天皇を、旱天に悩む民のために祈雨祭を催した古代の王になぞらえているのだろう。と


  ちはやびときみ歩みくる水の辺に春のうしほののぼりくるかな

これは誄歌(るいか。死者の生前の徳をたたえ、その死を悼む歌)である。春が来る時天皇まぼろしとともに、春のうしほが激しくやってくる。裕仁天皇はおそらく常に大東亜戦争の膨大な死者たちの勢いとともに、しかしそれを無化しつつ来る。


  天皇制はいかにあるべき大喪の誄歌(るいか)ながれて氷雨降るとき

裕仁天皇の大喪の時の歌。彼女の内部では裕仁天皇の死で天皇制は終わった、文句あるのか、みたいな含意がある?
昭和天皇こそ神国日本の最後の王であった。その王が死んで、何のために天皇制が存続するのか。」


  いつしかに統(すめら)を捨てて春の筏とうとうたらりあそぶ黒翁(くろおきな)

翁とはすめらなりける氷雨降り誄歌ながるるきさらぎのはて
「山中智恵子には、一方で統(すめら)を捨てた昭和天皇への敬慕の思いがあり、紛れない。すめらを捨てたとき、昭和天皇は「翁」である。」


  深き夜を深沓(ふかぐつ)の音歩みゆく世紀はてなむ夜までのこと
  そのよはひ冷泉越え賢王と過ぎたまふ、そよ草生(ひと)を殺しき

裕仁天皇は深夜、ユーラシア大陸を歩む(あるいはニューギニアを)軍靴の幻のおとを幽かに聞いていたのか、その生の終わるまで。


  青人草(あをひとぐさ)あまた殺してしづまりし天皇制の終を視なむ
  昭和天皇雨師(うし)としてはふりひえびえとわがうちの天皇制ほろびたり

雨師:王とはいえ、古代にあっては、祈雨に失敗すれば命をもってそれを贖わなければならないものであった。
戦争責任を彼一人に負わせるのは残酷である。しかし王であること、祭主であることはそれを受け入れることである。わたしもまた彼を常に思うことで、責任と死を受け入れているのだ。そのように彼は死に、わがうちの天皇制はほろんだ。


  雨師(うし)として祀り棄てなむ葬り日のすめらみことに氷雨降りたり     「夢之記」

「「雨師として祀り棄てなむ」と。山中智恵子がそのように考えるのは、王の罪についての古代的な正義の基盤に立ち戻ろうとするからである。」


「山中智恵子は戦士である。ひとは天皇制とどうすれば戦えるかということを、率先して、完璧に示しているのである。象徴天皇制の存否もまた国民の総意によって決定されるべきものだからである。
中路 正恒
今日天皇について論じようとする人がいるが、皆上っ面をなでただけで、核心に迫っていない。山中智恵子だけがそれをなし得ている。