松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

崇敬・国家・ネイション

spanglemaker 『誰が教育の現場で「日の丸・君が代を崇敬せよ」なんて言ってるんですか?
それから日の丸・君が代はネイション(このコメントの流れからいうと「国」)の象徴です。』(2005/03/31 19:03)

index_home 『式典で国旗を掲げ(校旗は同じ位置に掲げない)、壇上にあがる者はそれに頭を下げて礼をし、国家を歌うときには全員起立し、声を出して歌おうとすることをすすめるのは日の丸君が代に何をするためですか?』(2005/03/31 20:39)

index_home 『それから日本語の「国」という言葉にあたる英単語はnationのみではありません。』(2005/03/31 20:42)

N・B 『>反政府主義者のほとんどは、「国」を愛する故に「国家」に反逆する人々であり、私の認識では、熱心な愛国者となるのですが……。
 歴史的にはみもふたもなくそうなのではないでしょうか。これはバートランド・ラッセルの「ロシア共産主義」に載っている話ですが、ラッセルはレーニントロッキーの二人に会って、トロッキーの方がロシアという国に対する傾倒があり、レーニンはむしろ「国際主義的」だったと感想を述べています。現代の発展途上国ではいっそうそうでしょう、例えばマンデラもサハロフもある種同じですね。

>誰が教育の現場で「日の丸・君が代を崇敬せよ」なんて言ってるんですか
 やはりこれは「治安維持法で処刑されたものはいない」という主張に似たミスリーディングです。それにステイトの機能を利用してネーションのへの合一化を図るのは spanglemaker さんの立場からはむしろ忌避すべきことではないでしょうか?ネイションとステイトの分離を強調するがゆえに両者の癒着を警戒しなければならないのが spanglemakerさんの立場だと思うのですが。

>ただ、普遍性とアメリカという特定の国家が用意二度生津氏されてしまう背景としては
 すいません変換間違いがそのままでした。「特定の国家と用意に同一化されてしまう」が正確です、すいません。』(2005/04/01 12:39)

noharra 『「日の丸・君が代はネイションの象徴である」なら何故、「他国の国旗を尊敬することを知らないものは」みたいな理屈の方をむしろ公式には採用しているのですか?』(2005/04/01 20:55)

spanglemaker 『誰も教育の現場で「日の丸・君が代を崇敬せよ」なんて言ってないんですね。ありがとうございます。
>>「日の丸・君が代はネイションの象徴である」なら何故、「他国の国旗を尊敬することを知らないものは」みたいな理屈の方をむしろ公式には採用しているのですか?
自国を尊重することと他国を尊重することは両立できると思いますが。自分の家族を大事にする人が他人の家族をけなしたりしないのと同じです。』(2005/04/02 08:48)

(野原)
「他国の国旗を尊敬することを知らないものは」みたいな理屈、というのは単なるメンバーシップにもとずく儀礼的敬意を要請しているということでしょう。ネーションとは区別される意味でのステートへの敬意ですね。ネーションと言うのなら、私(あなた)のうちにも生きている「兎逐いしかの山」の記憶を呼び覚ませと言うだけですむはずです。
spanglemakerさんの意見とは食い違うと思います。