松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

労働

とにかく、精神現象学のポイントの一つは労働です。
ルカーチによれば、*1

  1. 労働の対象においては不変な自然の法則性が働いている。労働はその知識、その承認を基礎にしてのみ行われるし、また効果を持ちうる。
  2. そして、対象は労働によって新しい形式を得る。変容し他のものになる。

儒学でも格物致知といいますから、1)は理解していた。だが対象が変化するという把握がなかった。この差は大きい。(べつにヘーゲルのせいで産業資本主義が興ったわけではないが、その流れに棹さしていた。)
マルクスは『経済学・哲学手稿』でこう書いている。
ヘーゲルは近代国民経済学の立場に立っている。彼は労働を人間の本質として、自己を確証する人間の本質として把握する。」「だがかれは労働の肯定的側面だけを見て、その否定的側面を見ない。労働は、人間が外化の内部で、あるいは外化された人間として向自的になることである。」
そして、私たちをとりまく外界、都市や住居、文化や文明を、人間の活動の総体によって人間の類的諸力が外へ作り出されたもの、と捉えます。人間とは自己とその環境を自己産出するものだ、と。(ヘーゲルは本当にそこまで言っていたのか、という疑問も少し感じるが。)*2マルクス『経済学・哲学手稿』といえば、ほどんど理解してなかったと思うが高校生の頃文庫本で持ち歩いていた思い出がある。1969年*3。<世界は私たちが作ったものだ、だから私たちが革命する>といった論理、というより論理以前の熱(fever)をわたしたちは持って歩いていた。

*1:同書p153

*2:ほとんど初期マルクスヘーゲルルカーチからちょっと孫引きしておこう。外化(エントオイセルング)に関わる。「(α)わたしは自分を労働において直接物たらしめる、つまり存在である形式たらしめる。(β)わたしはこのわたしの定在(ダーザイン)をわたしから同様に外化し、それをわたしから疎遠なものにし、そこにおいてわたしを保持する。」同書p168

*3:私の場合は1970年でしたが