松下昇への接近

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202 返信 万世一系は捏造だ。 野原燐 2003/06/08 17:35


倉西祐子著 『日本書紀の真実−−紀年論を解く』という本が、
講談社選書メチエで5月に出ました。図書館にあったので何気なく借りて
みました。わりと面白く一晩で読めました。
戦前の小学校では、「じんむすいぜいあんねいいとく・・・」と歴代天皇
の名を暗唱させられたそうですが、今ではそんなことすら知っている人は
少なくなりました。日本書紀には、第一代神武天皇から第四〇代持統天皇
まで、それぞれの在位年数がちゃんと書いてあります。それによれば、神武
元年が持統の時代の何年前であり、西暦換算すると紀元前六六〇年である
ということも分かるわけです。ただそれは歴史的事実ではないようです。
(推古9年の辛酉の年から、1260年遡った年が神武元年とされた。)
日本書紀に書いてある年数の数え方と実際の歴史との矛盾という学問は、
江戸時代に始まり、明治時代に盛んだったそうですが、戦後は日本書紀
軽視する傾向が強まり廃れていました。この本は久しぶりの収穫という
ことなんでしょう。


仁徳元年は313年となっていたが本当は397年だ!なんて言ってみても、
そもそも仁徳に興味がない人には無意味なので書きません。
この本は謎解き風に記述されているので、以下ネタバラシになります。


(1)倭の五王について
倭の五王とは、『宋書』や『梁書』という中国の歴史書に書いてある
一字名前の日本王のこと。この本の結論では、
賛 仁徳
讃 去来穂別皇子
珍 反正
禰 うじのわきいらつこ
済 允恭
興 雄略
武 清寧
となっています。天皇ではなく「太子」が入っているのは、
この時代(五世紀前後)、天皇が祭司権、<太子>が政治的権限を持つ
両頭的体制であった可能性が高いと筆者が見ているからです。
(この時代はまだ天皇という言葉もないし制度も明確ではなかった、
それを後世が無理矢理「天皇」という制度に合わせて捏造したわけです。)
つまり<太子>が自分の名前で文書を中国に送ったのをそのまま記述
している場合、あとで天皇位の万世一系というつじつま合わせをした
日本書紀と合わなくなって来るわけです。
年数的には、応神元年から雄略5年まで紀年上192年だが、実際は
それから120年を引いた72年間である。


(3)それに対して、
神功皇后天皇ではないのに紀年がある)の期間は、
書記にある69年ではなく、それに120を足した
西暦201年から389年までの189年間である。ということが
結論されます。卑弥呼ないし神功皇后の名による、大なり小なり
母権性的傾向があった時代がそれだけ長く続いたということになります。
それを隠蔽するためにも年数を減らしたのか。
著者の説がすべて正しいわけでもないかもしれない。でもここに書いた
2点については正しいとすることによって興味深い理解が得られると思う。
(なおこの本はわたしの文章と違いイデオロギー臭はまったくありません。)