エジプト革命の理由
ホスニー・ムバーラク(今年83歳)は 1981年からエジプト大統領でした。(略)単にムバーラクだけが「私の人生まるごと」と同じあいだ大統領だっただけではなく、取り巻き連中までみなそうだったのです。
(略)
国の状態はどこもかしこも、ほとんどの人にとって悪化の一途をたどっていました。教育、報道、経済などすべてが間違った方向に向かっており、私たちが生まれたとき以来ずっとそうでした。一般のエジプト人がどんな生活をしているかにかかわらず、政府は独占企業がもっと利益を上げられるように「改革」してきました。それと同時に、1981年からずっと「非常事態宣言」が機能していて、必要と見なされれば誰でも、国家安全保障上の理由により裁判抜きで身柄を拘束することが認められてきたのです。さらに、選挙では不正が行われ、そのうえで、なお真実の声を発表するどのような表現形式を認めることさえ拒否しています。大学の学生組合の選挙にまで不正が行われ、骨の髄まで堕落しきっています! ありとあらゆる分野の指導者たち、知事、大学長、工場長さえもが現役か退役した将軍です。社会のあらゆるレベルでの腐敗はいうまでもありません。失業率は、特に若者の間であまりに高く、また貧困が蔓延して国民の半分以上が貧困ライン以下で暮らしています。ほかにもまだ、ここに書き切れないたくさんのことがあります。
けれど、いまこそチェンジの時です!
これは、「エジプトの一青年」と名乗る匿名の人物によるブログへの寄稿(blogspot.com に 2011年1月27日に投稿された)の翻訳です。
http://www.tup-bulletin.org/modules/contents/index.php?content_id=906
エジプトは遠い。
本当だろうか?それが嘘であることを私たちは知っているのではないか。北朝鮮は近いが、そこにたくさん有る収容所の中の人の運命に心を痛める人は少ない。エジプトは遠い、と言う人は強大な権力に虐げられた人たちに対し無関心に生きるという、自己の有り様を守りたいだけ。
エジプトが遠いのは事実である。だからこれまでエジプトについて何も知らなかった事は恥ずべきことではない。エジプトで革命とまでいわれる大きな騒乱が起こっている時、やはり知ろうとするべきだろう。革命なのか騒乱なのか?
素直に考えれば、デモしつづける民衆の側を応援したいと思う人も出てくるだろう。そう思うべきだと言っているのではない。
しかし、彼らは必死で闘っているのだから私たちはせめて正確に見ようとすべきだ。自分がたまたま触れた断片的情報から判断せずに、情報を集め映像を見ることにいくばくかの時間をついやすべきだ。もちろん知れば知るほど分からないことが増える。それが分かれば、中断し判断を口にしてもよい。
占領地住民を数十年に渡って抑圧しつづけてきたイスラエル国家の犯罪性を私たちは知る。そして、イスラエル国家の犯罪性を知りながらそれに加担し続けてきたアメリカと西欧列強、それに積極的に寄り添ってきた近年の日本を批判することを知るべきだ。*1
親愛なる世界の皆さんへ、
これは、あなたが本当は何者であるかを試される瞬間です。あなた自身の真実の瞬間です。あなたの良心はまだ生きていますか。あるいは、あなたは人間性よりも利害関係を重んじますか? あなた自身の尊厳を証明し、私たちが人間性の回復を要求することを手伝ってくれるでしょうか。それとも、戦車が我々を轢(ひ)くのを、脇に立ってただ見ているだけでしょうか? それはあなたが決めることですが、覚えておいてください。それはあなたが一生抱えていくことになる何かであり、いつかあなたはこの件で子供たちと正面から向き合わなければならないかもしれません。
彼は「良心」というものをダイレクトに問うてくる。
おそらく彼が言うのは正しいだろう。「数十年のムバラク支配は不正であった、したがって覆されるべきだ」という理屈は正しい。*2
それを訴える人が、戦車に轢(ひ)かれる危機に有るとすれば、まず心情的に彼らの側に立つべきだろう。
まだるっこしい文章を書いている。それは革命という言葉に熱狂する事が、容易な熱病であることを知っているからだ。
私は「ムバラク退陣!」を叫ぶ市民たちへの連帯を訴える! 慎重に考えて、そう思った。