松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

強制連行

実は私、旧制中学生のころ、何度か強制連行の現場を目撃しているんですよ。それは昨今、日本人の憤激を買っている「拉致」そのものの光景でしたけど、それがいけないことだとは少しも思わなかった。それどころか何であんなにいやがるんだろうとむしろいぶかったぐらいで、日本のために進んで尽くしゃあいいのになんて思ったものです。それほど無知だったんですね。昼ひなかトラックが三台ばかり、畦道をとり囲んで、畑仕事をしている男たちを無理矢理積み込んで行ってしまった。そりゃあ家族たちはお先まっ黒になったでしょうね。夫が、息子が、畑に行ったまま帰ってこないんだから。押し込められて、日本の炭鉱に行った人はまだ幸いに生存率があったから良かったんです。南方に連れていかれた人の多くは、生死不明です。
p89-90金時鐘『わが生と死』

三浦朱門という大変な小説家が、昨年(略)産経新聞に書いていましたね。*1(略)逆に、朝鮮人労務者は炭鉱やその他で働かされたから命が保証された。私たち日本人は戦場に行って死んだじゃないか。お前たち幸福に思えというぐらいに書いています。


言われている朝鮮人の私が、恥ずかしくなってしまう。(同上)

強制連行を行った「軍国主義の悪」は戦後、ほんの上っ面でだけ反省されただけで真の反省は行われなかった。
その証拠が次の三浦発言である。三浦朱門は、1985年4月 文化庁長官に就任(〜1986年8月)、以降も権威ある地位に着きつづけた。それを批判する国民はごく少数派であり力を持たなかった。


役所に呼びつけて「説得」という名前の下に恫喝しハンコでも押させて「同意の下に」連行するのも悪としては、結局、同程度かもしれない。しかし「昼ひなかトラックが三台ばかり、畦道をとり囲んで、」の方がイメージとしては鮮烈である。
ネトウヨの悪宣伝もあり後者のようなことが本当にあったのか、についてはほんの少しだが疑問も持っていた。しかし考えてみるに結局私の現在の常識に合わないという以外に違和感の根拠はない。


強制連行については、山東省などでの「ウサギ狩り」作戦が有名だ。
「広大な地域を日本軍が円陣で囲み、しだいに圧縮してできるだけ殺さずに捕虜にした。」参考。日本には約4万人が送られた。


日本という国家として反省は不十分である。
だがそのことを理由に、金正日国家が犯した(隠蔽するので事実を確定するのは難しいが)犯罪を明かにしていこうとする努力、に消極的になろうとするのは許されない。

*1:2004年の講演の文章だから三浦が書いたのは2003年か。