松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

アウシュヴィッツ/表象不可能性

「表象 不可能」でググると、期待したとおりショアーについての文が見つかった。

シンドラーのリスト』に対して集中した批判の一つに表象不可能性の問題がある。ナチス・ドイツによって520万人ものユダヤ人がユダヤ人であるがゆえに虐殺され、その痕跡をも徹底して残さず、一つの民族の存在自体を「大量生産的」なやり方で抹消するという人類の歴史上初めて行われたホロコーストという未曾有の出来事に対し、それを表象=再現することは絶対に不可能であるとクロード・ランズマンは断言する。ランズマンはまた『ショアー』で証言する当事者たち、絶滅の連鎖の最後まで行き着きその果てから生還しえた人たちがみな口をそろえて言うような「理解不可能なこと*2」、つまり言語化することさえできない文字通り想像を絶した状況、「語りえぬこと」を表象することは不可能であり、またそれを行うことは重大な侵犯行為となるという*3。

 *2 「あれ、あれはね、言葉にするわけにはいけませんよ。どんな人にも、ここで行われたことは想像できません。無理です。誰にも理解は、不可能です。今、考えたって、ぼくにはもう、わからなくなっているんですから…。」『ショアー』の冒頭でヘウムノ絶滅収容所からの生還者シモン・スレブニクがその収容所の跡地再び訪れたときの言葉。クロード・ランズマンショアー』訳・高橋武智(作品社・1995年)。

 *3 「ホロコーストがユニークなのは何よりも次の点においてである。すなわちそれは、ある絶対の恐怖が伝達不可能である以上、自分の周囲に踏み越すことのできない限界を炎の輪のように作り出す。この限界を踏み越えようとすることは、最も重大な侵犯行為を犯すことにほかならない。フィクションとは一つの侵犯行為である。表象=上演にはある禁じられたものが存在すると、私は心底から思っている」クロード・ランズマンホロコースト、不可能な表象」訳・高橋哲哉『『ショアー』の衝撃』(未來社)所収。
http://www16.ocn.ne.jp/~oblique/texts/NaokiKATO/elephant_nobody1.htm