松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

皇祖皇宗に対する義務

 ヤスパースは、「ナチスの治世下、ドイツにあっていわば「祖国喪失者」として毅然とした抵抗をつらぬく。ナチスの政権にユダヤ人の妻との離縁を勧告された時には、これを拒否し、大学を退いている。*1
しかしナチス敗北後は、「自分をこの悪をなした「敗戦国民」の側におく。*2」そして「今はじめて、わたしがドイツ人であり、私の祖国を愛するのだと、ためらいなくいいうる」と言い放った。

ひるがえって日本の戦後に、ヤスパースに似た時局便乗にさからう声が皆無だったというのでもない。
 だいぶ若いが*3太宰治はあのヤスパースの敗戦直後の声に似て、「真の自由思想家なら、いまこそ何を措いても叫ばなければならぬ事がある。天皇陛下万歳!この叫びだ。昨日までは古かった。しかし今日に於いては最も新しい自由思想だ」という声をその敗戦直後の小説の登場人物にあげさせている。また戦時下、軍部の言論弾圧と戦った明治生まれの硬骨のオールド・リベラリスト津田左右吉は、戦後創刊された『世界』に一転、熱烈な皇室賛美を書いて周囲を困惑させている。*4

「われわれの祖先のうちの最も優れた人たちから伝わってわれわれの心に呼びかける最も気高い要求」と「天皇陛下万歳!」はイコールだろうか。明治憲法は「天皇神聖にして侵すべからず」と定めた。おそらくその時から、天皇に対するより上位のペルソナ(皇祖皇宗やアマテラスなどなど)は誰からもアクセス不能になり忘れられた。

一切が消滅しても、神は存在する。これが唯一の不動の地点なのである。
p189 同書

ヤスパースがこう言わなければならなかったほど追い込まれたとき、日本人はやはりあの鵺的なペルソナにすがるしかないのだろうか。
そんなことはなかろう。
「天地の始は今日を始めとする理なり。」と語った北畠親房を思い出すなら、わたしたちは「新しき古」に向かって開かれている。

天皇陛下万歳を「時局便乗にさからう」と素直に評価してしまう加藤は、戦後史の現実過程に対する認識がずれているのではないか。戦後も一貫して裕仁天皇で有り続けた。これが日本の美的倫理的根拠の破壊でなかった、とでも思っているのか。)

*1:加藤典洋『戦争の罪を問う』の解説p221

*2:同上

*3:野原註:1883年生まれのヤスパースより

*4:同上 p227