松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

この千葉景子を人でなしと思いますか?

平成22年7月28日(水)
 本日,私の命令の下に,篠澤一男,尾形英紀の2名の死刑を執行しました。

3日前に、ある法務大臣が死刑執行命令を下したことが話題になっている。

http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00052.html 法務省のサイト。死刑執行がすかさず報告されることはいままでなかったような気がする。ひたすらこっそり執行だけしていたように思う。

このようにいずれの事件も大変残忍な事案でもあり,それぞれの被害者の御遺族の方々にとっても大変無念な事件であったと思います。そして当然のことではありますが,いずれの事件も裁判所において,十分な審理を経た上で,最終的に死刑が確定したものです。以上のような事実を踏まえ,慎重に検討させていただいた上で,死刑の執行を命令した次第です。

この部分、役所の文章としてはとても異色である。役所がやることは些細な事でも大きな事でも「正しいに決まっていること」とされているため、どんな場合でも説明はないないし最低限である。(反対に市民に対する啓蒙などの場合はサービス満点の場合もある。)
この文章がおかしいのはそんな点にはない。この行為は誰に遠慮して(人権に配慮して)行うべきかといえば当事者である篠澤一男,尾形英紀の2名以外にないのだが、この場合行為の内容が死刑なので、当事者はこの文章を書いた時点ですでに存在しない。「慎重に検討させていただいた上で」といった丁寧なレトリックが余計空疎に響く。

今回の死刑の執行に当たりまして,私は自らが命令した執行ですので,それをきちっと見届けることも私の責任だと考え,本日の執行に立ち会ってまいりました。死刑の執行は適切に行われ,私自身,自らの目でそれを確認させていただき,改めて死刑について深く考えさせられるとともに,死刑に関する根本からの議論が必要だということを改めて強く感じました。

これは「私」こと千葉景子自身が語っている文章だということが明らかになる。
これは評価してよい点だと思う。死刑を執行するのは執行人である、高級官僚や大臣は他人にまかせておけばそれで済むというのが、今までの常識であった。
「死刑をきちっと見届けることも私の責任」。「執行命令を出すだけでなくて」。
死刑というのは、細部まで明かにした上で人を実際に殺すことである。したがってそのプロセス一つ一つに躊躇があり葛藤がありうる。したがって行政組織のtopが立ち会おうとするのはある意味で当然である。しかしたぶん、大臣が立ち会うなどということは日本では空前のことではないかと思う。執行は誰も見ていないところで自動的に行われるべきという常識が日本では成立していた。レベルが全然違うが屠殺場なども日本ではほとんど人の目に触れることはない。
裁判官によって与えられた「抽象的な死」は、具体的に執行されるがその具体的なプロセスは隠されたままである。言い換えれば死刑がやはり「殺す」ことであり、「殺すな」という宗教的倫理的命令違反であることを見ないようにしているわけだ。
この点について今回の千葉法務大臣の行為は「私が殺した」ことを認めるという点で、いわゆる「男らしい」という美徳に添ったものだと言えます。*1


もちろん、彼女には執行命令に署名しない自由があったので、署名した事自体が誤りだという批判はありえます(し、実際ある)。死刑廃止論と死刑肯定論はずっと論争しています。
私は死刑廃止論ですが、それとは別の論点で今回は書きたいです。

そこで,今後の死刑の在り方について検討するために法務省内に勉強会を立ち上げることにします。私自身の下,法務省内の関係部局等によって構成することとしますが,開かれた場で幅広く外部の様々な方から御意見をお聞きをしたいと,御議論に加わっていただきたいと考えています。この勉強会はあらかじめ結論を決めて行うものではありませんが,死刑制度の存廃を含めた,死刑制度の在り方等を検討することを考えています。

死刑の是非を検討する勉強会を立ち上げる、と彼女は言う。失われた命は戻ってこない絶対的なものである。死刑の言い訳として勉強会を持ってくるのはバランスを失している。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20081013 で「日本には死刑囚が105人」と書いた。こちらを見るとそれ以後、08年と09年にそれぞれ15人と7人執行があり、今回の2人は1年ぶり。残りは107人。法務省の役人はこの人数を減らすのが自分たちの仕事だと思っているのだろう。
役所にとっては死刑は仕事である。逆に言えば廃止論が力を増し「執行は遠慮」が当然になればそれはそれで良いのである。


死刑の是非を検討する勉強会は大きな課題を背負うことになる。死刑が是である、とするなら死刑廃止に向かう諸国や国連も説得し返すほどの強力な論理が欲しい。逆に死刑が非であるとするなら、宗教的倫理的にそうであっても被害者感情論で納得しない「世論」とやらいうものをどうあしらうかが問われることになる。

そして裁判員裁判によって刑事司法に対する国民の関心,あるいは自らが裁判で判断をされると,こういう責任を国民の皆様も負うことになっているという状況の中で,この勉強会の成果を公表し,死刑の在り方について,より広く国民的な議論が行われていく契機にしたいと考えています。

千葉法務大臣が「私が殺した」ことを認めるということは、やはりわたしたち国民一人一人も「私が殺した」ことを幾分か分有していることになる。この点について疑いはない。
憎むべき犯人だから殺すのか? 国家は別に感情など持たないし理性的なものであるべきである。そのような理性の塊が人を殺すということが、最も道理に反することではないか、私にはそう思える。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010072900768
「死刑制度の信頼損ねる」=千葉法相を批判−自民・安倍氏

 自民党安倍晋三元首相は29日、千葉法相を批判したらしい。安倍氏にとって、死刑は討論の対象になってはならないもの、国家の聖性を保証する儀式であるべきもの、であるのだろう。


いずれにしても、「死刑の是非を検討する勉強会」なるものがこうした絶対的な議論に耐え得るだけの思想的力量を持続し続けることができるのかどうか、が今後問われることだ。勉強会という言葉はいかにも軽いし期待できないという気がする。せめて研究会とかに改めるべきであろう。国民の注視によりなんとかしていきたい。


ところで「永山基準」を中心にした現在の死刑制度の運用は、永山裁判においてある一人の女性の証言が裁判官の心を打ち地裁の死刑判決が撤回された事に、法務官僚をはじめとした日本の支配層の一部が烈火のごとく怒って作り上げられたものである。*2
「勉強会」にはぜひこの女性をメンバーに加えるようにして貰いたい。*3
彼女の発言には宗教的重みがある。稀有の人材であると、あの番組を見ていたほとんどの日本人が思ったはずだ。
もし彼女をメンバーに加えないとしたら、それは法務省の彼女に対する逆恨み、私怨であり許すことはできない。

千葉法相は「(執行を)きちっと見届けることも私の責任だと考え、本日の執行に立ち会ってまいりました。法相が死刑に立ち会ったのは初めてではないか」と述べた。

これは、本人の言う通り歴史的な快挙で、素直に評価して良い点だと思う。これほど本質的な問題を政治的パフォーマンスと言うのなら、政治的パフォーマンスではないのは何なのだろうか。
http://informatics.cocolog-nifty.com/news/2010/07/post-72fa.html

この点は私と同じ意見。

 この「目配せ」の効果は、「敵対性」の隠蔽である。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20100729/p1

千葉法相は「私が殺した」ことを積極的に認めた。それは、わたしたち国民一人一人も「私が殺した」ことになる、そういう認識につながる契機を与えたと野原は評価した。
それに対してid:hokusyuは、別の点に注目しまったく逆の評価を下す。

「敵対性」は顕在化すべきである。あらゆる場所に「敵対性」はすでに存在しており、見ることを厭わなければすぐに見ることができる。

ふーむ、死刑の問題は敵対性の問題なのか。敵対て何、敵階級への、それとも国家への?

しかし、死刑判決が目前にせまった彼らと日々面会したり、救援会の中心を担っているひとたちからみたら野次馬なんてふざけるな、という思いやったやろ。そういう非難・批判をいっぱい受けた。(水田ふう)
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/saluton/archive/kaze48.htm

死刑囚とパーソナルにつながっている支援者が、死刑命令者である大臣を恨み、指弾するのは当然であろう。またわたしのようないい加減な立場で意見を言う人にも批判の一部はとんでくるであろう。

世論調査なるものによると、「死刑存置」が八割ちかくもあって以前より増えたということになるんやけど、(同上)

死刑賛成 2010/07/29 01:01 死刑が存続する理由の一つとして、国民の85%が賛成するという巨大な世論がある。
http://d.hatena.ne.jp/sionsuzukaze/20100728/1280314395#c1280332870

世論なるものに対して、「糞みたいな」という判断をすることはタブーではあるだろう。でもわたしはそう思ってしまう。


なおタイトルの「この千葉景子を人でなしと思いますか?」は
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20100705#p1で引用した「この魯立人を人でなしと思いますか?」のパロディ。*4
莫言『豊乳肥臀』という小説の中国革命時の農村の「闘争大会」で共産党活動家の魯立人が赤子を銃殺にしようとする発言を、無理やり擁護しようとした文章。
それに引きつけて書きたかったが上手くいかなかった。

死刑の刑場について

「死刑の刑場について詳細に解説しているサイトがある。死刑について賛否はともあれ、まず事実を見てほしい。」、とtwitterで保坂氏が言っています。
http://www.geocities.jp/aphros67/030600.htm
(8/1記)

*1:およそ彼/女に反対して言われうる一切のことが、情け容赦もなく、いいつくされてしまったことを彼/女は信じてよいのである−−全世界と争うことには、慰めがあるが、自分自身と争うことは恐ろしいことなのだ。キルケゴール 「おそれとおののき」p207筑摩世界文学体系

*2:先日の永山則夫についてのNHKの番組によれば

*3:ミミさんと呼ばれる女性。

*4:誰も知らないセリフのパロディ