松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

北朝鮮帰国事業とその責任

高政美さん(日本名千葉優美子さん)の裁判の傍聴に行ってきました。3月19日午後3時大阪高裁別館7F72号室法廷、というのが先日送ってきたカルメギ87号に載っていたのでその日時だけを見て行ってみたのです。*1
さて、1959年から十数年間朝鮮総連による「帰国事業」というものがありました。高政美さんの裁判はこの「帰国事業」の責任を朝鮮総連に問うものである。

さて「帰国事業」とは何だったのか、を彼女の訴状(2008年6月13日)から引用します。

1959年12月に始まる朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」とする)への帰国事業によって、約93,000名の在日朝鮮人(日本人配偶者含む)が帰国した。
当時の日本は在日朝鮮人に対する差別や偏見が格段に強く、在日朝鮮人の多くは日本で暮らすことに困難を感じていた。そこへ、被告が「(北朝鮮は)教育も医療も無料の社会主義祖国」「地上の楽園」という猛烈なキャンペーンを繰り広げ、在日朝鮮人を「帰国」へと組織した。
このような情勢の中で日本政府は遂に在日朝鮮人北朝鮮帰国を認めることとなり、日本赤十字社赤十字国際委員会の協力を得て行なうことを1959年2月13日閣議了解で決定した。「基本的人権に基づく居住地選択の自由という国際通念に基づいて処理する」ことを原則とするものであった。次いで同年4月から日本赤十字社ジュネーブ北朝鮮赤十字社と交渉を行い、その結果、8月13日にカルカッタで両赤十字社の間に在日朝鮮人北朝鮮帰還に関する協定が署名された。この協定に基づいて、同年12月以降、在日朝鮮人北朝鮮へ帰国することを希望する者の北朝鮮帰国が実施された。
http://hrnk.trycomp.net/file/chiba_sojou.doc

帰国事業は北朝鮮当局と朝鮮総連が企画実行の主体であり、(当時も今と同じく韓国との関係の方が深かったはずの*2)日本政府が奇妙な事にそれに協力したものである。

在日朝鮮人は、その98パーセントが「南半分」、つまり今の韓国出身である。だから、厳密にいえば、北朝鮮は故郷ではない。守るべき祖先の墓もなければ、頼るべき親類縁者もほとんどいない、「異郷の地」だった。「朝鮮総連と収容所共和国」 李英和
http://mirror.jijisama.org/kikokuzigyou_notumi.htm

北の共和国が掲げる社会主義の理想に共鳴してイデオロギー的理由で北へ行った人もいただろうがそうした純粋分子はごく一部であっただろう。北朝鮮は教育も医療も無料の社会主義祖国」「地上の楽園」という宣伝を聞き、民族差別される日本の地よりも最低生活が保証される国を選んだ人が大部分だろう。大衆は常に日々の生活が楽しければそれで良いのだ。

しかし、帰国者を待ち受けていたのは「楽園」ではなく、「地獄」にも似た現実であった。自由の拘束と経済的困窮は帰国者に限った事ではなかったが、その中でも帰国者は徹底した監視・統制・分断の下に置かれた。
北朝鮮から脱出してきた者の証言により、北朝鮮には12ヶ所程の強制収容所が存在し、推定20万人以上が収容され、人間の生活とは言えない状況に置かれていることが明らかとなった。そして収容者の中には日本からの帰国者が多数含まれていることも明らかとなった。平壌から東北へ100キロほど離れた15号管理所という強制収容所(通称「耀徳政治犯収容所」)には約5万人の政治犯が収容されていたが、その内約5千人が日本からの帰国者と言われていた。
  北朝鮮では出身階級・階層で国民(公民)を解放直後ころから「出身成分」に分けており、日本からの帰国者には非常に低い位置付けがなされている。なぜならば帰国者は、自由主義社会の空気を十分に吸った者、異質思想の持ち主、思想的動揺者、不平不満分子であり、あげくのはては日本や大韓民国(以下「韓国」という)から送り込まれたスパイもその中に含まれているとみなされているからである。日本に残り、日本で生活したことが本人の罪でないにも拘らず、この差別と監視は一生ついてまわり、密告や当局の判断で、いとも簡単に強制収容所に送られるのが実態である。
(上記訴状より)

北朝鮮は予想よりずっと貧しかった。しかし貧しさ自体が問題なのではない。民族差別される日本よりも、国家建設に参加でき自分の能力をそれにいかす事ができれば数年後にはよりましな生活もやってくるだろう、「帰国者」はそう信じようとしただろう。
よりましな生活という面では、51年後の現在、餓死者が大量に出ていると伝えられている。
そして、民族差別からの脱却という面ではどうか?
民族差別はなくとも、「出身成分」による差別が厳然とある。*3 そしてささいな罪で強制収容所に入れられてしまう人も多い。
朝鮮総連はなぜこうした自らに対する差別を肯定しているのだろうか?お聞きしたいものだ。

本訴は原告の辿った過酷な体験を通し、帰国事業の犯罪性を裁判の場で明らかにし、今なお北朝鮮政府の人質政策に加担している被告の責任を追及するものである。(上記訴状より)

帰国事業に加担し、50年も続く北朝鮮国内での「帰国者」への死に至る抑圧に直接の責任があるのは北朝鮮国家と総連である。しかし帰国事業に消極的に協力し、50年も続く北朝鮮国内での「帰国者」への死に至る抑圧を知る機会を持ちながらそれに抗議の声を上げなかったわたしたちにも、何らかの責任はあるのではないか、と私は思う。

*1:ご承知のように裁判というのは公開なので、誰が見に行っても良いものです。二十年以上前、私が高裁によく行っていたので、思い立ったらすぐ行くことができた。

*2:1965年日韓条約までは韓国と日本の公式の関係は成立してない。帰国事業が開始されたことで日韓関係は完全に冷却化。等一言では言えない。

*3:19日に千葉さんから聞いたが、帰国者の子弟が大学の法学部に入るのはほぼ不可能であるとのこと。