松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

劉暁波実刑11年

今日12月25日、劉暁波さんが中国北京第一法院で「国家政権転覆を煽動した罪」で実刑11年の判決を受けました。私は、言論・表現の自由を奪うこの判決に憤りを感じています。
http://haraten.blogspot.com/2009/12/blog-post_25.html

反体制作家に懲役11年=中国
12月25日15時40分配信 時事通信
中国共産党独裁を批判し民主化を求めた声明「08憲章」を起草したなどとして、国家政権転覆扇動罪に問われた劉暁波氏(写真)に対し、北京市第一中級人民法院は25日、懲役11年、政治権利剥奪2年を言い渡した
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091225-00000022-jijp-int.view-000

 怒りを感じます。言論の自由に対する弾圧の典型ですね。わたしたちは意志表示を続けたいです。
yasuworldpeaceさんとharatenさんからtwitterのfollow通知をいただき、判決内容を知りました。


haratenさんの上記記事には続いて、中国人作家 余傑さんがRFI(フランス国際放送)のインタビューに答えた記事の翻訳が掲載されている。08憲章は1年前にsinpenzakkiさんの翻訳で読みました、noharraは。しかしそれ以後、この問題についての日本語の言説が極端に少ないため、いささかとまどっていた面もあります。先日来twitterで中国語の言説がかなりあることを知りましたが中国語ができないので分かりません。
こうした翻訳がもっと増えることを願っています。*1

1。劉暁波さんは「08憲章」のために国家政権転覆罪で起訴されました。
国家が至上権を持つなら自己を守る権利を持ち、国家の転覆につながる芽を摘み取る権利を持つことになる。このような論理は、一つの飛躍を隠している、というのは(永遠の昔から続いてきたとされる)国家と(現在ある政治システムとしての)国家との混同である。至上権を持つとしてもそれは前者の国家でしかありえず、後者の国家がそれを主張するとすればそれは、至上権を私しているのに過ぎないのではないだろうか。
そもそも国家が至上権を持つなどと西欧近代の思想では考えられないが、東アジアでは必ずしもそうではないので一歩退いて考えてみてもいいかなと思って書いてみたわけだが。
国家政権転覆罪という言葉は、RFIの中国語サイトの原文にある“颠覆国家政权罪”の直訳である。*2
このwikipediaはなんと昨日の判決がちゃんとのっている。

* 刘晓波,2009年6月23日被捕[16],2009年12月25日由北京市第一中级人民法院判处有期徒刑11年并剥夺政治权利二年;[17]
http://news.xinmin.cn/rollnews/2009/12/25/3163179.html

何が言いたいかというと、国家を転覆する罪というものを立てることに一分の理があるとしても、政権を転覆する罪などというものはありえないということだ。*3
中国の憲法にも言論の自由は定められている。しかし憲法がすべての基礎であるかというとそうではなく、国家(あるいは帝国)の存在がすべての基礎であり憲法はその後にくる。この場合、たまたまその時国家権力の座にあったものは、国家を転覆する罪を政敵に押し付けることができる。おろかな事である。*4


「また、「08憲章」を含む彼の論文は温和で、理性と建設的な精神に富んだ内容です。」と余傑氏は述べている。実際、劉暁波の主張は過激でさえない。*5

民主化を実現する方法は、官民が互いに影響し合う漸進的な改良によるべきで、急進的な革命は行わない、なぜなら、改良型の社会の変革は、速度はすこしゆっくりかもしれないが、社会の転換の総合的コストを低下させるからである、
(p99 劉暁波天安門事件から08憲章へ』ISBN:9784894347212

と明確に劉は述べている。

私は「08憲章」は1989年以降のこの20年間で最も包括的で深みがあり、中国の歴史、現状そして未来の発展の方向性を示した歴史的な文書だと考えています。また、今日の中国社会がすでに公共スペース(訳者注:インターネットのことか?)が発展し人民の人権意識が覚醒するというところまで発展したということを物語っています。彼は中国の未来に対して切実な呼びかけをしたのです。それは、中国社会はもう共産党に全ての権利を独占させることできないということです。(余傑 同上)

公共スペース、原文「公共空間」はおそらくハンナ・アレントと関係がある。

正確にいえば、ポリスというのは、ある一定の物理的場所を占める都市=国家ではない。むしろ、それは、共に活動し、共に語ることから生まれる人びとの組織である。そして、このポリスの真の空間は、共に行動し共に語ることから生まれる人びとの間に生まれるのであって、それらの人びとが、たまたまどこにいるのかということとは無関係である。*6

東アジアでは「公共」は基本的に国家に従属する形でしか存在しなかった。しかし現状において中国の社会でも、言論という本性に基づく諸関係、諸活動はすでに分厚く存在している。それを性急に国家の至上権に敵対するものとみなし弾圧することは、国家経営としてもマズい可能性が大きい。

余傑:中国共産党は劉を捕まえて、他を脅し、見せしめにしようとしましたが、この策はまったく効きませんでした。あんなに多くの「08憲章」署名者たちが立ち上がり劉と一緒に責任を負うと表明しました。今日の裁判では、多くの人が私のように自宅軟禁状態でしたが、それでもなお数百人の人が裁判所の外で劉を支援しました。そして、ネットではイエローリボンキャンペーンが広がっています。無数のネチズンが劉への支援を表明しています。民主、自由、人権、憲政は人心の向かうところであり、いかなる人、いかなる党派も阻むことはできないのです。(同上)

無数のネチズンが劉への支援を表明しているかどうか知らない。日本人に限るといままだ一桁だろう、イエローリボンキャンペーンに賛同しているのは。
イエローリボンキャンペーンといったたぐいのキャンペーンに乗っかるのは苦手でいままでやったことがないような気がする、野原は。昨日、詳細も分からずに参加してみたのは、「劉暁波に自由を!」というメッセージが端的に強調され実現されるべきだと考えたことによる。そしてまた、日本人による解説なしに中国人(?)と直接連帯することができるという可能性が、アレント的なものを垣間見せているのだという直感による。
http://twitter.com/noharra/status/6979361470


劉暁波は11年よりずっと早く釈放を勝ち取るだろう。しかしわたしたちは声をあげることにより、一日も早い彼の釈放を勝ち取らなければならない。

*1:haratenさんに感謝しています。

*2:正式には煽动颠覆国家政权罪というらしい。wikipedia中国語に解説がある。  煽动颠覆国家政权罪始现于1997年《中华人民共和国刑法》第一百零五条第二款,内容为“以造谣、诽谤或者其他方式煽动颠覆国家政权、推翻社会主义制度的,处五年以下有期徒刑、拘役、管制或者剥夺政治权利;首要分子或者罪行重大的,处五年以上有期徒刑。”另根据第一百一十三条第二款,“犯本章之罪的,可以并处没收财产”。根据第五十六条,“对于危害国家安全的犯罪分子应当附加剥夺政治权利”。该罪名存在争议,2003年7月,李建强律师等人公开建议废除或修改“煽动颠覆国家政权罪”。2004年2月,独立中文笔会联署102人签名, 要求对“煽动颠覆国家政权罪”作出法律解释。2008年2月,维权网发表“致全国人大常委会公开信”,要求终止使用“煽动颠覆国家政权罪”惩罚言论自由

*3:ありうるとすれば政権を国家=天皇と同一視する教義を持つある国においてだけだ。

*4:http://constitution.blog109.fc2.com/blog-entry-254.html という日本語のブログを見つけた。「劉暁波氏は無罪。権力批判の自由」を叫ぶ点で共感できる。「真・民主主義者は民主主義を求める中国人民の友人でありたい。」とも言っている。しかし、「反日」という訳の分からない形容詞を使っている。国家を信仰しながら「権力批判の自由」を本当に擁護できるのだろうか。

*5:過激な言説なら弾圧されてもよいと言っているのではない。

*6:p320「人間の条件」アレント