松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

劉暁波と<根拠>

及川淳子さん*1が、「「自由」を問い続ける人びと」として劉暁波をテーマに3回にわたる文章を、集広舍のサイトにUPされた。
http://www.shukousha.com/column/oikawa_008.html

2008年12月に拘束された劉暁波は1年余りの拘束の後、2009年12月25日、北京市第一中級人民法院(地裁に相当)によって、懲役11年と政治的権利剥奪2年の実刑判決を言い渡された。拘束がずっと継続しているわけである。
去年は建国60周年と天安門事件20周年であり、大規模な民主化運動の再燃を懸念して当局は抑圧を強化していた。その焦点が劉暁波の拘束であった、と。


「08憲章」が悲願として提出する表現の自由、結社の自由などを、わたしたち日本人は制度としては完全に保証されている。わたしたちは先進的立場に立っているという優位において、彼らに手を差し伸べるべきなのか?わたしたちの困惑はこの点にある。
わたしたちはかって大東亜共栄の理想と強大な武力でもって大陸に進出した。日本は敗北したが、中国*2に対する敗北、「大東亜共栄の理想」が間違っていたことに対する自己批判を確立しその上に戦後国家を建設するのではなく、冷戦体制の中で天皇などの戦前的なものをひきずったままぬえ的な国家を成立繁栄させてしまった。
わたしたちは個人として「大東亜共栄の理想」を自己批判すること、という一個人にとっては重すぎる奇妙な課題を解決しないと、中国人と関わり得ない。*3 日本国内の右翼・反共勢力に対抗するために、日中友好というスローガンが選ばれる。そのスローガンには誰も反対できない。しかし逆に、すべてをそのスローガンを通して見ようとする場合、中国国内の人権問題や他の問題は見えていても極端に軽視され見ていないのと同じことになる、そうした心理操作が行われる。「大東亜共栄の理想」を自己批判するという課題を、左翼イデオロギーや中国国家との友好というもので解決できるとした事大主義である。70年代に「反スタ」というスローガンが青年の間では流行ったのだが、今となってみれば「反スタ」の本質を学ばないまま「(反省する自己)の自己肯定」だけを継続している人がなんと多いことか。


及川の文章が日本人がこの問題に関わるとはいかなることかという自問自答から始まっているので、それに刺激を受けわたしも考えてみた。

「民主」や「自由」の問題は、どこかに完璧な模範解答があるわけではなく、常に問い続けていくべき問題なのだ。

そのとおりである。わたしたちは自由にほしいままに考える権利があるわけではない。むしろ、既成の権力と幻想が何重にも重なったなかでの瀕死の存在であるというのがわたしたちの出発点であろう。


ところで、中華人民共和国刑事訴訟法第50条には、「人民法院(裁判所)、人民検察院、公安機関は事件の状況に基づき、被疑者、被告人に対して、拘引、審問までの保釈、あるいは監視居住を行うことができる」という規定があるということだ。で、2008年12月に拘束された劉暁波はこの「監視居住」というカテゴリーによって拘束されていた、ということだ。劉暁波北京市内に自宅を持つので、自宅に閉じ込めたまま監視しておけば足りるでしょうに。しかしわたしたちは「法の支配」を求めており、相手に該当条文を提出させることは、闘いの最初の一歩だと考えるべきだろう。
拘束といっても最初は誰によってどこに連れていかれたのか分からないわけである。その五里霧中の状況のなか、当事者、弁護士などが粘り強い努力をすることによりやっと窓口を確定し交渉に入ることができる。でその後質問して相手が答えてくれたら該当条文が判明するわけである。当事者がいくら言ってもそれだけではさほど力はない。国内及び国外の人がこの問題を注視しているということが力になる。中国の場合、国内のマスコミ及びインターネットは当局がほぼ完璧にコントロールしている。したがって海外の人々がこの問題を注視しているというアピールは、わたしたちが思うよりも効果をもっている。*4 

中華人民共和国刑事訴訟法第58条には「監視居住は最長でも6カ月を超えてはならない」と定められている。(略)
数日後、弁護士はこの不当な拘束が違法であるとして北京人民検察院第一分院に告訴したが、その10日後の6月23日に国営新華社通信が伝えたのは、劉暁波が「国家政権転覆扇動罪」容疑で逮捕されたというニュースだった。(同上)

逮捕とはもちろん抑圧には違いないが、五里霧中の状態に比べればましである。国際社会が注視する中、自らの抑圧を明示することは当局にとって好ましいことではなかった。中国国家の権力は圧倒的であるがまったく自由であるわけでないのだ。

劉暁波が2008年12月8日に自宅から拘束されてからの1年間、劉霞は1月と3月にわずか2回の面会が許可されただけだった。劉霞と弁護士は、当然のことながら劉暁波との面会を求めたのだが、公安関係者は収監の事実を記した正式な文書がなければ、それに基づく関連手続きもできないため、面会は許可されないと劉霞に伝えたという。
http://www.shukousha.com/column/oikawa_009.html

このような状況は、人を絶望させるに十分なものだ。絶望をこそ当局はねらっているだ。形而上学的には絶望は不正確な結論だ、と言える。それが慰めになろうとなるまいと、劉暁波もその妻も絶望はせず闘い続けている。


ところで、

2004年改正の「中華人民共和国憲法」を見ると、その第35条には「中華人民共和国の公民は言論、出版、集会、結社、デモ行進、示威の自由を有する」と明記されている。

しかしこれにはつぎのような但し書きが付いている。

「権利の行使には、特別の義務及び責任を伴う。したがって、この権利の行使については、一定の制限を課すことができる。ただし、その制限は、法律によって定められ、かつ、次の目的のために必要とされるものに限る」として、(a)他の者の権利又は信用の尊重、(b)国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護」というただし書きがある。
http://www.shukousha.com/column/oikawa_009.html

「国の安全、公の秩序をおびやかす表現」とは何か? その範囲を決める権利を国家だけが持つなら結局表現の自由は、ただの空語となる。


 中華人民共和国憲法マルクス・レーニン主義を掲げている。それに対し、及川氏は次のような一文を引用する。

マルクスの『共産党宣言』には「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となるような協同社会を実現する」という一文がある。

国家は国家であるという自同律に根拠を求めることは、その時の権力の当事者の恣意を肯定することになる。*5 そうではなく、表現の自由、わたしたちの公開の討論の自由を根拠(普遍的な価値)として認めるべきである。そうしても権力の当事者は一定の優位を持っているから、正しい場合には勝てるはずであるから。


劉暁波に対する判決は不当であり、「劉暁波に自由を」は正しいスローガンである。しかしそれを口することへのためらいには、日本と中国の歴史の弯曲が畳こまれており考察に値する。劉暁波に自由を!

*1:天安門事件から「08憲章」へ」の訳者の一人

*2:及び朝鮮

*3:そういうわけでもないのかもしれないがそのように思える。

*4:「08憲章」を支持する欧米の政府関係者やダライ・ラマなどの著名人が声明を発表し、劉暁波の釈放を要求する胡錦濤国家主席宛ての公開書簡には、ナディン・ゴーディマやサルマン・ラシュディなど5名のノーベル文学賞受賞者たちをはじめとする世界各国の文人たちが名を連ねている。http://www.shukousha.com/column/oikawa_002.html

*5:いわゆる「人治」