透明で撥ね返してくるもの
薄明の鏃(やじり)をうてば朝こだま ゆきてかへらねものに澄みたり *1
水甕の空ひびきあふ夏つばめものにつかざるこゑごゑやさし *2
八木洋子さんに捧げる *3
後の歌。「水甕の空」ってどういうことか。燕たちが弧を描いて飛び交い、空が丸く狭くなっているイメージでしょうか。つばめたちは飽くこと無く、すごい速度で飛び交いつづけその軌跡は全体で球形を描くかのようだ。彼らが運動しているというより、このような運動こそが彼らの本質であるかにおもわれる。いつまでも繰り返される球形の運動の反復はわたしたちの世界から独立した一つの宇宙がそこにあるかのようだ。そのとき、地上の物に拘束されない〈自由〉の一瞬のヴィジョンを詩人は感知する、これが聞きなれた鳴声を「やさし」と感受した瞬間である。
模様と色彩が反復しながら変移していく八木のオブジェも、なめらなか表面を持ち壷という球形をしていることによりミクロコスモスを感じさせるものだ。
前の歌。早朝、薄明、鏃(やじり)を打つとは、カーンという高い音が広がるのか。こだまを聞きながら逆に「ゆきてかえらぬもの」を思ってしまう。哀憐という叙情はつねに重く濁ったものになりがちだが、その真逆の軽く透き通ったものに一瞬、哀憐の強度が現出する。
透明で何もないかのように見せながらそれを裏切ることより逆に強い物質性を表現してしまうのがガラスである。八木のオブジェは透明ではないが、やはりガラスであるので、光によって色や物質性が変移していくかのような印象を保有する。ガラスに驚いた古代人と木霊に驚いた古代人は逆の物を発見しながらどこかで通底している。*4
*5
id:nishiohirokazuさんの作品も、上の八木氏の作品にすこし似ている(かな)
http://www.flickr.com/photos/nishiohirokazu/4018733857/
http://d.hatena.ne.jp/nishiohirokazu/20091017/1255789475
http://www.flickr.com/photos/nishiohirokazu/4018701919/
http://www.flickr.com/photos/nishiohirokazu/4019458380/