〈卵〉を自己満足的に消費することを許さない!
id:tmsigmundさんとは、出発点が反対というのはなく、微妙に近いながらも、どこかでまったくずれているために話がかみ合っていない。
ちょっとはっきりいうと、今回の村上のスピーチに賞賛を送るのは、もともとのヒューマニズムのそこの浅さが、露呈してしまっているのではないか。
(略)
しかし、村上のスピーチに自分たちのヒューマニズムの正当性のあらわれを見出そうと、あれこれ解釈を繰り返すのは、ほとんど不毛であると思う。
わたしの(3)は、たしかに「あれこれ解釈を繰り返す」ことをしているわけだ。春樹の口当たりのよい言説を、自己満足的に消費することを許さないように、「卵」の意味を無理に解釈している。
卵の側に立つとは、言葉の側に立たないということであり、「テロとの戦い」に参加しないということである。
卵の側に立つとは、愛の欠如をひりひりと告げられるということである。
卵の側に立つとは、主体ではなく主体の破壊という危機の側に立つということであり、ヒューマニストという自己を肯定することへの批判である。
id:tmsigmundさんとも、春樹の口当たりのよい言説を自己満足的に消費することを許さない!という動機においては共通しているはずだ。ところがどうしたわけで、対立してしまうのか。
(続きは明日になるかもしれません。)