松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

村上春樹による〈卵と壁〉を語ることの政治性

tmsigmundさんとのやりとりが、少し長くなったので最初からリスト化してみます。
(1)村上春樹による政治的なスピーチと、湧き上がる非政治的な解釈
http://d.hatena.ne.jp/tmsigmund/20090220
(2)日本人=村上春樹ファンは、イスラエルに行き、卵を買って壁にぶっつけよう!(野原)
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090221#p1
「村上は、スピーチで、パレスチナ人を積極的に支持表明しなかった一方、シオニスト中道から左派のメンタリティに親和的であることを、あらためて示した。」に対し、野原は「そんなことは最初から分かっていたことでありいま批判する意味がどこにあるのでしょうか。」と批判。
(3)システムと卵について(野原)
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090221#p2
(4)「牢獄から我々は脱出できない」は嘘 (野原)
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090221#p4
(5)

tmsigmund 2009/02/21 13:02 いまさらわかりきった批判を書かせるのは(わたしこそそう書いた)、「卵と壁」というような比喩を「文学的」だと感じ、飛びつき、村上によって照らし出される自分の鏡像に見入るように、具にもつかない議論を繰り返すnoharaさんのような人にいらだつからです。村上の政治的メッセージを文学的なメッセージに受け取るものが、全般的に多いわけですが、パレスチナ問題の解決を求める立場の人までもが、「文学的」な振る舞いに感染していていいのか? それは、ごく初歩の「文学批評」を欠いているからではないか? 「卵」の比喩などいまどきエンタメ的文学でも使わないような、くさい表現です。

(6)

noharra 2009/02/21 19:40 >>「卵と壁」というような比喩を「文学的」だと感じ、
それはわたしではないですね。
わたしの文章の趣旨は、文学者あるいは文学観賞者という自己の否定です。

(7)

tmsigmund 2009/02/21 23:19 村上春樹を否定する立場であるのは、了解しました。しかし、その「隠喩」に乗っかって言説を繰り広げることを、わたしは「文学的だ」(悪い意味で)と批判しているのです。ああいうスピーチにことばが誘発されるのは、正直見ていて恥ずかしい。小中学校の国語で、その手のくさい「隠喩」がすばらしいものであるかのように、習いませんでしたか。noharaさんが特にそうだとは、思いませんが、多くの村上擁護者の感性は、非常に幼稚なものだと感じています。

(8)解釈遊びを始める馬鹿 (野原)
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090222#p1
ohnosakikoさん、kurahitoさんのブクマコメント引用。
「「パレスチナ人の立場に立って考えるべき人々」とはいったい誰のことなのだろうか、それが自分でないと自明に措定されている(としか読めない)のであるから、id:ohnosakikoは、(自分の批判しているところの)春樹と同じ体質を持っている、と結論できるではないか。」と大野さんを批判。
(9)
id:tmsigmundさんへの4つの問いかけ(野原 同上)
(10)
id:tmsigmundさんによる長い回答
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090222#c1235274700
(11)
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090223#p3 (野原)
(12)
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090223#c1235665071(tmsigmund)
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090301#p1(再掲)
(13)
壁と汝と どちらが重いのか? 野原
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090301#p2
(14)
『幻の正義の原点』批判 野原
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090301#p3