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慶留間集団死は「軍命」

慶留間集団死は「軍命」 関東学院大林教授が米公文書館で発見

 沖縄戦当時、慶良間諸島で発生した、家族や親せき同士で互いに命を絶つ「集団死」について、発生直後の島民が日本兵による軍命があったと証言している米国の公文書資料の存在がこのほど分かった。資料は米軍の第77師団砲兵隊による1945年4月3日付「慶良間列島作戦報告」で、関東学院大学(神奈川県)の林博史教授が米国立公文書館で発見した。
 資料には、慶留間の民間人が「日本兵は島民に対して、米軍が上陸してきたときには自決(commit suicide)せよと命じた(told)と繰り返し語っている」と記述されている。住民の集団死については、軍命の有無を争点とする訴訟も起きており、一石を投じる貴重な資料といえる。
 資料は林教授が8、9月に2週間かけた調査で、メリーランド州カレッジ・パークの米国立公文書館新館にある膨大な沖縄戦資料の中から発見した。
 資料によると、米軍は約100人の民間人を捕らえた慶留間で、男女に分けた2つの収容施設を設置。尋問された民間人たちは「3月21日」に、「日本兵(Japanese soldiers)が、慶留間の島民に対して、山中に隠れ、米軍が上陸してきたときには自決せよと命じたと繰り返えし語っている」と証言している。
 座間味島については、歩兵第77師団「アイスバーグ作戦 段階1 作戦報告 慶良間列島慶伊瀬島」「軍政府」の項で、「集団死」の生存者に対し、医療従事者が治療を行ったことを記し、「一部の民間人は艦砲射撃や空襲によって傷ついたものだが、治療した負傷者の多くは自ら傷つけたもの(self−inflicted)である。明らかに、民間人たちは捕らわれないために自決するように指導(advised)されていた」と記述してある。
 林教授は本紙の取材に「島民たちが自決するように命令あるいは指導・誘導されていたことは、3月下旬の時点でも明確。米軍は事態を正確に認識していた」と解説した。
 慶良間諸島における集団死については、軍命の有無が争点となり、日本軍人遺族ら原告団が、軍命があったと記載した岩波書店大江健三郎氏を訴えている。沖縄戦史を研究する石原昌家沖縄国際大学教授は「慶留間でも軍命があったとの証言を得ており、強制集団死事件を裏付ける公文書。強制集団死を殉国死とし、軍命はなかったとする原告側の言い分を否定する資料だ」とコメントした。
(10/5 10:19)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-17785-storytopic-1.html
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