松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

345 八月の短歌

戦場の街の一つをそのままに持ってこなければわからないのか
(砂川壮一)
第九条創りし高き理想あり代うるにいかほど理想のありや
(諏訪兼位)


8月30日の朝日歌壇の馬場あき子氏の選より。彼女は「「原爆忌」が季語になっていく歳月を、記憶の風化を悲しみながら生きてきた」と言う。記憶とは何か、わたしには分からない。戦場の街が突然目の前にあっても分からないだろう。「反戦平和を祈る」というのは思想たり得なかった、と言って良いのか?結局のところ、“朝鮮戦争にもベトナム戦争にも心からは反対しなかった反戦”は捨て去るしかないだろう。*1

*1:何年の発言なのか不明、2004年か