松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

「帝国の慰安婦」、読んでみた。

「帝国の慰安婦」という本が机の上にある。
付箋も幾つか付けたので、ちょっと紹介したいというわけだが、気が進まない。本も半分ほど読んだのだが、読み進む気が起こらない。
もっと言うと、この本については読む前から大体内容は分かっていた。で半分読んでみたが、ほぼ思っていた通りだった。


(1)「解決を求める」こと
検索すると、朴 裕河さん本人の書いた文章がでてきた。
https://www.facebook.com/notes/705074766186107


コピペが楽なので、この文章からいくつか抜き出してコメントしてみたい。

この問題について考える時もっとも必要と思われるのは次のことである。
1、できるだけ早い解決

と裕河さんは書いているのだが、これが間違った目的であると考える。


「解決」を求めているのは、当事者(元慰安婦のおばあさんたちと挺対協、両国政府)だけである。当事者以外の人に求められているのはまず、過去にあったことのできるだけ正確な理解である。その上で、反省すべきならすればよい。
解決は当事者がするべきことで、私たちは関係ない。

3、この問題にかかわることが自分の生活や政治的立場と関係のない識者や市民もこの問題にかかわり、「解決」をもたらす方法を「関係者とともに」考える。

なぜ「解決」について私(野原)が考える必要があるのか、全く分からない。


もちろん元慰安婦のおばあさんたちが求めているのだから解決は獲得されるべきだろう。しかし「慰安婦」問題は彼女たちのものなのか?
必ずしもそうではない、と裕河さんは書いていると思う。

日本軍「慰安婦」にされた人は、日本人・朝鮮人・台湾人・中国人・フィリピン人・インドネシア人・ベトナム人・マレー人・タイ人・ビルマ人・インド人・ティモール人・チャモロ人・オランダ人・ユーラシアン(白人とアジア人の混血)などの若い女性たちです。
http://fightforjustice.info/?page_id=2356

と日本の「あった派」の代表的サイトも書いている。


従軍慰安婦問題は事件が終わって45年も経った1990年ごろから「問題」として、世間に大きく訴えられてきた。それから25年以上経った現在直接の当事者はほとんど世を去っている。すでに死んでしまった人たちが納得しない解決であっても生きている人びとが納得すればそれは「解決」になるのだろう。
私は直接の当事者ではないので、そうした「解決」を求めるよりも、いまでは辿りつけないさまざまな境遇の「慰安婦」たちの当時と戦後の情況をまず知りたいと思うのだ。
知ることができない、確定した情報として記述できないとは思うが、であるからこそ不十分でもそこに接近したいと思うのだ。


挺対協が作り上げてきた〈慰安婦をめぐる公的記憶〉が存在する。それが、慰安婦たちの実際の姿とはかなりズレていることを批判したいというのがこの本の趣旨だ。ズレは当然存在する。まず日本人・台湾人・中国人・フィリピン人・インドネシア人・ベトナム人・マレー人・タイ人・ビルマ人・インド人・ティモール人・チャモロ人・オランダ人・ユーラシアン(白人とアジア人の混血)などの若い女性たちの体験が反映されていない。現在北朝鮮にいる元慰安婦たちの体験もおそらく。
さらに、挺対協とは25年以上も水曜デモなどのけっこう大変な活動を持続してきた運動体であり、韓国人元慰安婦であってもそれとは違った意見を持つ人びとも当然存在する。*1


解決を求める事は、挺対協中心史観といった磁場で「たたかい」を展開することだと思う。つまり、裕河さんのやっていることは挺対協中心史観といった磁場で挺対協中心史観に反対するという奇妙なことをやっているようにも見える。
ただ、われわれも否定派(ネトウヨ)史観といった磁場でネトウヨ史観に反対するという奇妙なことをやっていることになるのかもしれない。


違った認識をもった人びとが争っているとき、「解決を求める事」を第一に掲げるのはおかしなことのように私には思える。


(2)慰安婦のなかにある「愛国的志し」の過大評価

日本の場合、最初は日本に入ってきた外国軍人のためにそういう女性たちが提供されていたが、同じ頃から海外へもでかけるようになっていた。いわゆる「からゆきさん」がそれで、彼女たちの殆どは貧しい家庭出身で親に売られたり家のために自分を犠牲にした女性たちだった。

これを強調するのは正しい。からゆきさんたちがどれほど苦労しそして沈黙のうちに死んでいったかを日本人は忘れており思い出す必要があるから。慰安婦たちのすぐ前の時代に。

からゆきさんの中には、たとえ売られてきていわゆる「売春」施設で働いても、拠点を築いた女性たちは「国家のために」来ている「壮士」たちのためにお金や密談のために場所を貸すような立場の女性たちもいた。

1910年前後?シベリアなどで自立し「壮士」たちを助けたりした愛国的元からゆきさんが複数人いた事は知られていないわけではない。しかし、彼女たちは国家によってシベリアなどに連れて行かれたわけでもなく、国家に売春を強制されたわけでもない。植民地人でもなく自己を支えるために愛国的になってもそこには屈折はない。

一方彼女たちも、間接的に「国家のために」働く男たちを支え、郷愁を満たしてあげることでそれなりの誇りを見いだすこと(もちろんそれは戦争に突き進む国家の帝国主義の言説にだまされたことでもある)もあった。

従軍慰安婦は「略取(暴行・脅迫を用いて連行すること)・誘拐(騙したり、甘言を用いて連行すること)・人身売買などにより」遠くはビルマくんだりにまで連れて行かれた。直接ではなくとも日本国家の需要によってである。さらに軍によって直接・間接に売春を強制された。(日本人以外は)植民地/占領地/戦地でありアジア人だった。((大きな例外が一番資料がよく残っているオランダ人の場合))
この三重の理由により元従軍慰安婦たちは、「日本帝国に対する忠誠を自己確認すること」への満足があったとしても、三重の屈折を乗り越えてしか、それはなかったはずだ。


これを強調したことが、韓国人の一部に極度の怒りを生じさせたのであろう。文脈の違う「愛国的からゆきさん」の存在にすぐ続けてこう書くのは、歴史の偽造に近いイメージ操作なので、怒りはもっともだ。


(3)慰安婦の定義がデタラメ

慰安婦」とは基本的には<国家の政治的・経済的勢力拡張政策に伴って戦場・占領地・植民地となった地域に「移動」していった女性たち>のこと

完全に間違った定義だ。「いわゆる従軍慰安婦」とは日本軍あるいは日本国家が直接・間接に営んだ戦時売春施設の従事者のことであり、そのポイントは、国家による強制性にある。

それまでにあったことをシステム化したと見るべきである。

間違い。

したがって、本来の意味でなら、日本が戦争した地域にあった性欲処理施設を全て本来の意味での「慰安所」と呼ぶことはできない。たとえば「現地の女性」がほとんどだった売春施設は本来の意味でなら「慰安所」と呼ぶべきではない。つまり、そのような場所にいた女性たちは単に性的はけ口でしかなく、「自国の軍人を支える」「郷愁を満たす」という意味での「娘子軍」とは言えないのである。

「自国の軍人を支える」「郷愁を満たす」という意味など、裕河さん以外の慰安婦定義には存在しない。自分の定義を元に文章を書いても混乱が拡大するだけだ。

・・・朴 裕河先生に言いたいこと。
韓国人中心史観を訂正したいなら、
☆ 日本軍に棄てられた少女たち―インドネシア慰安婦悲話  プラムディヤ・アナンタ・トゥール
☆ ある日本軍「慰安婦」の回想―フィリピンの現代史を生きて マリア・ロサ・L.ヘンソン
☆ 映画 ガイサンシーとその姉妹たち 班忠義
     チョンおばさんのクニ 班忠義
など、読んだほうが良いと思う。
挺対協やそれを支持する元慰安婦たちの現在の表現が、うすっぺらな「公的記憶」に見えるとしても、その背後には数十年の多様な体験の幅が存在している。それを見ることができずに、自己の才能だけで「ディベート」に走ってしまった、感じ。


また、からゆきさんと慰安婦問題の関連を考えたいなら、倉橋先生の本も読んでおいた方がよい。
☆ 従軍慰安婦問題の歴史的研究―売春婦型と性的奴隷型 倉橋 正直
  従軍慰安婦公娼制度―従軍慰安婦問題再論  倉橋 正直


出来の悪い文章だが、一定の長さになったので、掲載する。
あとで追加、訂正していく可能性あり。

パク・ユハ(朴裕河)教授とフォロワーの慰安婦論争

http://togetter.com/li/488629?page=1
15頁もあるが、ネトウヨに取り囲まれてイジメられているのか?たいへんだ。

朴裕河『帝国の慰安婦』批判 の例1

下記、良心的で緻密な考察だがまだきちんと読んでいない。
朴裕河『帝国の慰安婦』批判(1) 〈拒絶するという序列化のロジック〉
http://mopetto2012.hatenadiary.jp/entry/2014/12/10/015559


『帝国の慰安婦』の最も悪い部分のサンプル

(P299)「天皇が私の前にひざまずいて謝罪するまで私は許せない」と、或る慰安婦が話したとして非難し、さらに、
(P300)「屈服させたい―ひざまつかせたい欲望は、屈辱的な屈服体験による強者主義でしかない。」
「それは、植民地化の傷が作った、ねじれた心理構造というべきだろう」
「しかし強者主義的欲望から自由にならないかぎり、かつての帝国の欲望を批判できる根拠はなくなってしまう。」
http://mopetto2012.hatenadiary.jp/entry/2014/12/10/015559

日本の支援運動に対する批判

 支援者たちが、政府内の〈合意〉の結果として作られた基金を批判しながら、慰安婦問題を教育基本法君が代問題とも結びつけて、戦後処理や帝国主義を全面的に問うようになったのは、慰安婦問題を日本特殊のことと理解し、その責任を天皇に求めたからだった。2000年代に入って慰安婦問題に対する否定者を含むう右翼の反発が強くなったのは当然と言えるだろう。*2


これについて、

これに対して、たしかに女性戦犯法廷は天皇を断罪したが、それは「反天皇制」を支援運動の究極の目標にしたということを意味せず、被害者の要求である「謝罪と賠償」を求めた結果であった。むしろ、支援者たちは人手・時間・資金などの制約から好むと好まざるとにかかわらず、「慰安婦問題」としてシングル・イシューで取り組まざるを得なかったのが実情であり、他の運動のために利用したというのは事実に反する、との反論があった。
http://readingcw.blogspot.jp/2015/03/1.html

と、「慰安婦」問題をめぐる報道を再検証する会は、簡単に反論している。


支援者たちの国民基金に対する激しい反対運動を批判するのが、この本のポイントの一つだろうと思う。「その責任を天皇に求めたから」というのはミスリードだろう。
ところで、裕河さんの文章は、悪文と指摘できる。「慰安婦問題を日本特殊のことと理解する」とフレーズの意味を一義に確定できないのだ。慰安婦問題は日本軍の責任問題だから日本特有の問題なのは当たり前だ。その原因が日本特有の悪である「天皇」と関係があるという、ある種原理主義的左翼的発想であるかのようなイメージ操作を行っている要素がある。

*1:p13にも書かれているが

*2:p265 同書