松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

ことばの私有制を変革する

 私は、さきほど、歯の痛み程度のことでも、全情況の課題と優に対抗しうることを発見した。そうであるとすれば、私は、この文章の方向係数となっている不確定性をかみしめながらことばの私有制を変革し、ことばのむこうへはみだし、〈……〉論の枠を突破するであろうし、そこが不確定性の原理を真に応用する世界であると予断しておきたい。
http://666999.info/matu/data/hukakutei.php#hukakutei

 「いま自分にとって最もあいまいな、ふれたくないテーマを、闘争の最も根底的なスローガンと結合せよ。そこにこそ、私たちの生死をかけうる情況がうまれてくるはずだ。」 というテーゼの直前の形態。http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/matu1.htm
 世界は言葉で構成されている。権力関係も。したがって慣習に反することを恐れさえしなければ世界は容易にその像を変える。ことばの私有制とは何だろうか?自己が規制され主体化された限定を進んで受け入れていることにすぎない。
 試験の答案を一片の詩として読んでしまうことはそれほど困難なことではない。アルバイト先で取引先としてであった人物と恋をするのと同じくらいありふれたことだ。そうであろうとする欲望を否定せずそれを方法として純化し、ある特殊な気圧の薄さに耐えることができれば、わたしたちは新しい世界に歩み込んでいるのだ・・・

学力テストを実施する役目は終わったと思う。(2)

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20080918#p1
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20080927#p3 の続き
1。
全国学力調査の目的は、「国の責務として果たすべき義務教育の機会均等や一定以上の教育水準が確保されているかを把握し、教育の成果と課題などの結果を検証する」(「全国的な学力調査の具体的な実施方法等について(報告)」)ことにある。ある学校の学力が低いとか高いとかいうことを計るためにやっているわけではない。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/index.htm
文科省(こちら)にたくさん報告書がある。こうした調査をするためであれば、全国すべての児童に強制するのは無意味である。予算の無駄使いである。

 義務教育で全国的に習得すべき必須の内容を決めて、それをできるだけ平等に学ばせるという点では文部科学省が責任を担っています。ですからどこがどう足りていないのかを知る手がかりとして、全国共通の問題でそれを見るということ自体に特段の問題があるとは思いません。
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20080927#p1

 そのためには全国すべての児童を対象にしたテストを行う必要はないですね?

2。
9/18 弯曲していく日常 - 全国学力テストの信頼性
9/27 弯曲していく日常 - 学力テストを実施する役目は終わったと思う。
のふたつのTBをid:uumin3さんに送った。
そのうち、9/18日の分に付いて応答がない。
要約すると、1位 秋田県 77.2点 2位 福井県 77.1点 云々という「結果」というものを、学力を評価しえたものであると素直に考えておられるようだがそれは違う。その数値=学力×「いちびり係数」と考えるべきである。なんでも大阪府が最低だったとかいう話らしいが、それが大阪の生徒の学力が低いということなのだろうか?それは間違いだとわたしは思う。単に大阪の生徒は、「いちびり」だっただけである。
という趣旨。

3。人間は愚かなもので、例えば「1位 秋田県 77.2点 2位 福井県 77.1点 云々」といった数字を鼻先に突きつけられるとどうしても反射的に反応してしまいます。その数字に本当に意味があるのかどうかという難しい問はパスして、とりあえず良い結果を出したいと焦る気持ちに急き立てられます。
uumin3さんも橋下とかいうひとと同じようにこうした症候群にかかっているようです。

 その結果をどう捉えどう活かすかを各学校に問う「学校へのテスト」、というのでまず思いつく(はず)なのが、それぞれの生徒における「知識」と「活用」の不足を把握してそれを補う工夫です。単純にどこそこの方面で弱い生徒が多いと判断されれば、クラスもしくは学年単位でそれを補う努力を考えるとか、その方向で十分な学校に教えを請うて良い方法があったら導入するとか…

 これが「全く分からない」となりますと、もはや何をどう説明したらいいか考え込んでしまいますね。
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20080927#p1

 なるほど「単純にどこそこの方面で弱い生徒が多いと判断されれば、クラスもしくは学年単位でそれを補う努力を考える」ということですね。しかし、これが有効であるためには条件があります。ある学校において今この箇所に努力を払うべきであるという問題点を学校が自分では把握しておらず、逆にこのテストが教えてくれるという条件です。これが正しいことをあなたは証明できないはずです。しかもそうしたことを知るために設計されたテストではないのですよ。

4。

 私は学力テストの結果を公表してもよいと思います。これに反対する向きの御主張は、やはり「序列化」が気になるとか、このテストの結果だけに拘ったものになって教育が歪むとか、そうした方向だと見受けられますが、何もこの一つのテストだけでリニアに教育の序列がつけられるはずは無いんです。
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20080911#p1

結果=リニアに教育の序列がつけられる であることは 橋下の反応からもあきらかではないの。
uumin3さんはテストや公表に弊害があるかないかという問いを立てているが、ずいぶん甘ったれた問の立てかたですね。今の中学校でこのテストのために1日つぶされるということは授業または生徒の活動のための時間がそれだけ減ることです。中山某を始めとした教育経験もない人たちが実施させた「テスト」がそれだけの価値を持つものだと、あなたは主張していません。しかしそう主張できないならすでにあまり成果がないことは分かったテストは止めるべきでしょうね。

学力テスト問題の基礎知識

http://shinakosan.ti-da.net/e2361850.html こちらの方のブログが分かりやすいので紹介します。
まず、50年前に。

それに日本では1956年からの学力テスト絶対主義とその失敗があり、(テスト結果に応じて学校評価が変わるので)平均点を上げるに必死な学校現場は、勉強できない子をテスト当日欠席させたり、児童生徒にカンニングさせたりしました。このなんとも馬鹿げた現象が日本中で起こり社会問題になりました。

橋下さんはこのなんとも馬鹿げた騒動を再現するために努力している!

彼が目指したのはサッチャーが作った、悪名高い統一学力テスト中心のイギリス式教育制度でしたが、実際のところ教育界ではイギリスの学校教育は「失敗例」として紹介されています、学力向上を目指すならなぜ世界一のフィンランドを目指さないのか?

「失敗例」をいまさら追いかけるのは何故か不明!

それからこのような質問事項は、教育界の人間だったら絶対作れないと思います、名前(漢字・ふりがな)と「性別」を明記させた上で、小6向けのものにはまず「自分にはよいところがある」を5段階評価させ、「あなたの家には何冊本がありますか」「家族と旅行をしますか」と家庭の経済状態を開示させる設問、「友達に会うのは楽しい」「スポーツをすることが得意」など、いじめを受けている子や病気の子が存在し質問に答えることを前提としない設問など、一つ一つの設問を立てる意義から、言葉遣い、設問の量、デザインにいたるまで、はっきり言ってなんの配慮もしていない質の低すぎるアンケート調査表で、小中学生の実態を暴いたつもりでいるようなのです。

 家庭環境にめぐまれていない子供を傷つけ落ち込ませる効果を否定できない文章によるアンケート!

テストは実施され都道府県別の学力テストの結果が公表されました、しかし、これまで抽出で行われてきた学力テストと、何一つ変わらない結果しかでない、それだから自民党自身の「無駄遣い撲滅プロジェクトチーム」によって必要ないと評価されています。

学力テストは無駄遣いは自民党の意見!

文科省自身が都道府県の教育委員会にむけ、「序列化につながる」ので公開しないよう通達、

文科省の見解を馬鹿にできると思っている素人は聡明なのか?