松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

タイピスト募集でだまされてラバウルまで連れて来られ

 タイピスト募集でだまされてラバウルまで連れて来られた日本人女性数十人が抗議した結果、願い通り、そのまま帰国させてもらうことになったものの、その船が沈没して、全員死亡するという悲劇もあった。

 タイピスト募集でだまされてラバウルまで連れて来られた朝鮮人女性数十人が抗議した結果、願い通り、そのまま帰国させてもらうことになったものの、その船が沈没して、全員死亡するという悲劇もあった。

 明石書店の『従軍慰安婦110番』isbn:475030431X C0036 P1300E という本のp92からです。
読んだ人はたいてい気の毒にと思うでしょう。ところが、一部の人はそうではない反応をするのです。すなわち(1)だましてラバウルまで連れてきたのはある民間業者の責任だ。(2)抗議を認めたということは日本軍が正義を認め実行する能力があることを示している。逆に言えば抗議が認められなかった場合はそこに正義がなかったというわけだ。(3)慰安婦として働かされなかったわけだから軍の責任はない。
 それぞれに対する反論は各自考えてください。

さて、冒頭に二つの文章を並べましたが、一つは誤りです。どちらか分かりますか。
おそらく分かると思います。抗議を認められたのは日本人女性。が正解。抗議を認められた朝鮮人女性の例もあるかも分かりませんが、だまして連れて来られたのに抗議を認められずそのまま性奴隷として労働を強制され続けたケースが膨大にある。
それが慰安婦制度の罪です。
その本質の一つは、朝鮮、中国、アジア人差別です。

一人、一〇分か一五分ぐらい

同書p39より、ある旧日本軍兵士の証言。

一部屋は3畳ほどの広さで板張りでした。料金は1円50銭くらいでした。一人が一日に50人ぐらいの兵隊の相手をしていました。大勢並んでいますから、一人せいぜい二、三分です。
(略)
 一度、十三歳くらいの慰安婦陸軍病院へ運んだことがあります。大勢の兵隊の相手をしたため、性器が膨れ上がっていました。おさげ髪の女の子でした。
 朝鮮人慰安婦たちは、兵隊の洗濯女という募集を見て来たということでした。
(同書p39より、ある旧日本軍兵士、築城部隊76歳の証言。)

彼女たちは、多い日には35人ほどの兵隊の相手をさせられました。
(略)一人、一〇分か一五分ぐらいです。
(同書p48より、ある旧日本軍兵士、砲兵隊71歳の証言。)

92年1月の宮沢訪韓の直前の1/14〜16に「110番」電話による証言の収集が行われた。
3台の電話は鳴りっぱなしで一日80本の電話があった。と盛況だった。証言者はもちろんほとんど日本人ですが、慰安婦に同情的です。

ましな待遇の場合

日本人は前借りがあって来たものが多かったが、半年で借金を返し、止めて食堂の経営を始めた。
P88 同書

1937年頃の状況。

ネットでのなかった派(歴史修正主義者)の唯一*1の証言は小野田寛郎のものだ。
http://www4.airnet.ne.jp/kawamura/enigma/2005/2005-01-16-onoda_ianhunoshoutai.html
小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」

 商社員として十七歳の春、中国揚子江中流の漢口(現武漢)に渡った私は、

1922年生まれの彼が、17歳とは、1939年頃ということになる。

日本人が本格的に慰安婦設置に乗り出した時期は1938年とされる。その前後の、日本人慰安婦の状況は「言われているほどひどいものではなかった」という小野田の証言は嘘ではないだろう。
 慰安婦が置かれていた状況にはピンからキリまであり、小野田の言っているそれはもっとも良かった場合に過ぎないということである。
小野田は1944年12月にルバング島に着任するが、ルバング島には慰安所はなかったのだろうか。いずれにしても当時の状況を小野田は知っている筈であるが語らない。

*1:ではないだろうが

 従軍慰安婦姜日出(カンイルチュル)さん

[北海道新聞卓上四季] 従軍慰安婦(3月13日)
従軍慰安婦だった韓国人の姜日出(カンイルチュル)さんが、自宅から日本の官憲に連行される様子を帯広市内で本紙に語った。
http://d.hatena.ne.jp/nyoro22/20070313/1173854714

21歳未満の「慰安婦」の存在その他

(野原)
一読者さんへ。
遅くなって失礼しました。
まずハンドルネームについて。
ハンドルネームは発言者の人格を表示するためのものです。「一読者」って一体なんですか?あなたが文章を書きわたしが読んだら私も(あなたの文に対して)一読者でしょう。無意味に誰にでも当てはまるのはハンドルネームにふさわしくないから、特定の意図を持って「一読者」と名乗ったものと思われます。「ななし」と同じ、発言だけはするがその発言に責任を取らないという思想性を予め表示しているのでしょうか。
それとも一読者と下手に出て、ブログ管理者として如何なものか云々とケチを付けるためのポジション取りなのでしょうか。

>>>相手の言い分をまとめるフリをして、自分の都合のいいように捏造編集しようとしないで下さい。
無意味に喧嘩を売らないように。

そしてまず最初の確認からつまずいてしまう。
野原☆1).オランダ人と日本人以外で、21歳未満の「慰安婦」が沢山居たことは認めるか?
一読者)私は、21歳未満と主張する慰安婦の証言は、信用性の怪しいものしか見たことがないので、多くの歴史資料を渉猟されている事がうかがえるあなたに、ぜひ信用性のある資料をご紹介いただきたい。

わたしは資料を出せるか出せないかという議論をする意志はありません。
「21歳未満の「慰安婦」が沢山居た」と信じたくないが、いなかったとは断言せずに、のらりくらり逃げ回りたい。
があなたの出発点ですね。

あなたとの議論をどうやったら始めることができるでしょう?!

☆3.質問三つ目
>>>私は、21歳未満と主張する慰安婦の証言は、信用性の怪しいものしか見たことがないので、多くの歴史資料を渉猟されている事がうかがえるあなたに、ぜひ信用性のある資料をご紹介いただきたい。
あなたは慰安婦の証言すべてを信用性の怪しいものとみなしているのでしょうか? そうでないなら信用性を認める慰安婦の証言はどのようなものですか?
なお、野原は多くの歴史資料を渉猟したりしておりません。そういう努力には大きな敬意を表しますが。ヴィトゲンシュタインフーコーの言説分析をヒントに慰安婦議論それ自体の様相の核心をつかみたいみたいな不明確な欲望をもっています。

☆1−2.オランダ人と日本人以外で、21歳未満の「慰安婦」が1割以上居たことは認める。これくらいは認めて話を前に進めましょう。だめですか?
私の論理ではこれと、「慰安婦制度に軍又は国は主体的に関与している」を認めれば、日本はもっと真摯に反省を表明すべきだという結論になる。

☆4.
>>>その法意識は、ベトナム戦争時の慰安婦についての法的責任がほとんど問題となっていないこと、奴隷貿易や黒人奴隷制度などの法的責任がほとんど問題となっていないことと同様、不平等であっても法の限界でしょう。そして、主として法的責任が問題となっている以上、条約で解決済みなのに責任追及するのは、ごり押しでしょう。
いま何処で、法的責任が問題となっている のでしょうか?

むしろ問われているのは、戦後の原点でしょうか。
ナチスの悪を明確に裁いていくことが「反省」というドイツの戦後の原点でした。日本もすこし不明確でしたが大日本帝国の悪を反省し「平和と民主主義」の戦後を経営してきました。
「平和と民主主義」という看板はイデオロギーとしての側面もあったが、一面日本が国際関係のなかでやっていくための看板でもあったのです。ところが安倍首相は戦後レジュームの総決算と言いだした。「反省」という原点を表現した河野談話を否定しにかかっているなと中・韓は敏感に反応し、今回アメリカを通して河野談話再確認というプレッシャをかけてきた。
今回のプレッシャに対し、今までのような「証拠がない」という回答は無効です。問われているのは慰安婦の実体です。あやういバランスのなかで辛うじて成立させた「慰安婦に対する日本国家の責任と謝罪」を破壊しようと安倍首相はしている。

☆5.
で、まあ慰安婦制度に軍又は国は主体的に関与していないというあなたの主張が問題であるわけですが。

売春婦的実態の軍慰安婦制度

(野原)
☆5−2
一読者さんは、軍が積極的・主体的に関与したのだと認識を改めた、ようだ。
きちんと読んでなかった。

2、積極的関与その1・・・売春婦的実態の軍慰安婦制度(ベトナム戦争時のものなど)
3、積極的関与その2・・・性奴隷的実態の軍慰安婦制度

3ではなく2だというのが一読者さんの主張。