松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

「反日」をめぐって

http://kusabi.webcrow.jp/gainen/hozyuu/1.pdf#page=6
この紙片に、I.Hというペンネームの未知の方の文章が載っている。
反日」という思想についてである。
「僕は彼らの「反日思想」に共感した。中、高生ごろ僕が一人で考えていた「日本人であることの罪をぬぐうこと」を、彼らは武装闘争として実践した。自分とまるで同じようなことを考え、それを実際の戦いで示した人達が二十年前にいた。最初に彼らを知った時、あこがれ、かつ他人とは思えない親しさをおぼえたものだ。自分にもし、もう一回り強い決意性があり、彼らのような仲間がいたなら彼らと同じ道を歩んでいたのでは、と思うことがある。
 しかし、実際にはそんな決意性もなく、そんな相手もおらず、大学まで来てしまった。」
 
1974年三菱重工爆破事件などを起こした東アジア反日武装戦線などの、思想に惹かれていた自分を語っている。
日本・日本人が1945年までアジア各地に侵略し民衆を殺害・強姦した。それは歴史的事実である。しかし殺し/殺されるというのは、体験者にとっては単なる事実にはならない。それはトラウマになりそれを口にすることさえできない、触れようとすると数日間うつ状態になるなど、トラウマになる場合も多い。

反日という時、何ができるか?とI・H氏はいう。彼は自分の存在様式のキシミにおいて反日という概念をとらえているようだ。
「日本人であることの罪をぬぐうこと」自分自身の問題としてそれを担おうとして、爆弾闘争という行為を選択した先行者を見出した。彼は反日派に強いあこがれをいだく。

「日本国家に抑圧〜侵略されてきている人々の反日の感情には十分な歴史的〜現実的な根拠があり、私たちが、この根拠を全く不十分にしか止揚しえないままでいる事実」は存在する。


最近のNHKのTV番組マレー半島の山奥のゴム園で何の罪もない母子が日本兵に撃たれた(子供は生き残り番組にでている)話がでていた。日本兵は何の意味もなく殺戮したわけではない。この地域のゴム園経営者の華僑はかなりの富を持っており、それを重慶の国民党政権に送金していたのだ。収入の過半を占めるほどだった。ところがマレー半島の住民と「大東亜戦争」の関わりなど日本人は教わったこともなく、知っている人はごくわずかだ。ただ、殺された側のマレー人、シンガポール人などは必ずしも忘れてはいない。

一方、現在増えているのはネトウヨと呼ばれる人々である。自分自身の満たされない思いを韓国・中国から日本が攻撃されていることに結びつけ、被害者意識に基づいた「誤った歴史観」を作り、それを基に正しい歴史感や外交政策を攻撃する人たちである。

1970年代に現れた、東アジア反日武装戦線などの「反日派」も、シニカルに評価すれば、それの逆像のようなものだったのかもしれない。つまり、自分自身の満たされない思いを韓国・中国・アジアが日本に侵略・加害されたことに結びつけ、加害者意識を、一挙に現在の国家や大企業への全否定に結びつけ、攻撃する人たちである。

ただ、まあそう言い切ってしまうことにもためらいがある。現在の日本国家の、入管収容者や外国人技能実習制度によって入ってきている労働者への人権侵害は顕著である。ネトウヨ的誤った歴史観は日本外交をも歪めている。日本国家全体が国民全体の福祉のために動いておらず、資本家階級のために動いている。システムがそうである限り、「いい大学に入り、出て、いい会社に入る」といった生き方をすることはそのようなシステムの思想に存在論的に同意していることになる。松下昇はそう考えたであろう。

日本という国家と国民は、戦争に負け生まれ変わり、その戦争と加害の歴史に決着を付けて次の時代に進んだはずだった。しかしどうも自分たちがやった侵略の悪を直視し、反省する方向には向かえなかった。時代が経ち日本国内の人々の記憶が薄れると歴史的事実そのものを少しづつフェイクの側にずらそうとする膨大な努力が何十年も重ねられた。一定の成果だった「河野談話」を必死になって無化しようとして失敗した安倍首相は、その失敗(2015年の謝罪)を国民に隠したままである。敗北を隠すための必死の「慰安婦像叩き」という無意味なパフォーマンスはそれでも一定の成果をあげ、嫌韓派の支配はより強まっている。


松下昇は「反日」を次のように定義した。
「自己が依拠してきた発想や存在の様式を変換する契機を、日本の戦後過程における社会構造の責任との関連において、極限的に迫求する方向に見えてくるヴィジョン。」
https://noharra.hatenablog.com/entries/1100/01/23#p1
松下思想の核心である、自己の存在様式変換と革命の課題を同時に極限的に追求するというヴィジョンが、端的に述べられている。

次に松下は、「日本国家に抑圧〜侵略されてきている人々」ではない人々はどう考えたらよいか、と問いを立てる。

イスラエルに生まれ、育った人が同じような闘争への意志をもつまでの困難」という表現で、豊かでイノセントであるかのような戦後日本しか知らない人の困難に近付こうとしているのだろう。(30年経ってもイスラエルパレスチナ関係が不変であるのも不幸な話だが)

元に戻って、「日本赤軍も、東アジア反日武装戦線も、60年代末の大学闘争以降のさまざまな模索過程が生み出した形態の中の二つの極限である」と書く。
ひとはぼーっと生きているようでもさまざまにもがき悩むわけだが、おそらくそれらでさえ「自己の存在様式変換と社会変革の課題を同時に追求する」という包括的な思想空間において論じうるはずだと、松下はおそらく思っていたのだろう。

αーある声の誘いに応じて、長年にわたって手にしてきた〈網〉を拾てて、直ちに歩き出すことのできる魂の飢餓

「機構の変革のみならず、変革しようとする主体の変革を同時に展開することを不可避とする世界史的情況」が、大学闘争という時代の本質であると、再度確認される。

「人間や社会が存続する条件よりも、存続のために他を犠牲にしてきた条件の追求」を重視する。
社会変革という目的は断固追求されるべきであり同時に、目的のために自己犠牲・自己欺瞞、粛清などを生んでしまう(広義の)スターリニズムに対しても否定、批判はなされなければならない、というのが当時の新左翼の共通了解であっただろう。この革命主体に対する批判を、自己の存在様式に対する批判にまで深めるというのが松下思想であった。
わたしたちの共同体はその存続、自己利益を目的とするが、そのために何かを犠牲にしてしまうその条件、構造が研究されるべきである。

反日の概念とは無関係にみえる多くの概念」とは例えば、何を考えられるだろうか?わたしたちの社会はむしろ、会社のコストカットのために労働者の賃金を下げることが、正面から推奨されるようになってしまった。より多くの賃金のために超過労働(残業)をどんどんするといった、「目的のための行為」が結局そうした社会を作り上げたといったことも、その例だと考えることができる。

天皇制を含む日本の存在様式の解体」といったヴィジョンを持つとしても、その根拠や射程により、反日の具体的展開は様々に異なる。
2020年の現在からみれば、アイヌ:辺境の少数民族問題、や科学:核兵器原発など、に象徴される科学。自然を平板化し一面だけを取り出すことにより目的を達成する「科学的」手法への批判。武装:世界大戦だけは回避しているものの、戦争や国内弾圧をむしろ少しづつ起こしているきらいもある諸国家たちの犯罪性、自然:気候正義や人新世など世界の自然が端的に破壊されてしまう時期が来るという危機、と言って問題がある。(言語はあとまわし)
これらはすべて、日本の問題ではなく、世界の問題である。であれば、反日派は反日であるべきだったのか?という問い直しも必要だろう。ただし、私たちの正義の基準を総括するものとして日本国が存在し、その基準が狂っていると言う意味では、出発点としての反日は正しい。

「それぞれの項目が喚起するイメージが現在の人類史の具体性から発している度合を無化して把握しなおすべき、ということであろう。それぞれの項目への認識ベクトルを、概念の発生する初期条件と最終条件の包囲する座標系でとらえていく、といいかえてもよい。」と松下は注釈している。私の解釈とは反するようだが、私はこの文章が書かれてからの30年の間に生じた差異を拡大していくことで、例えば「科学が科学である自明性」にゆらぎを与えようとしているのであり、それほどズレていない。

松下は資本主義、国家、科学を批判するというインテリの道はとらない。それではインテリの自己身体(存在様式)の批判にたどりつかないから。
「社会的底辺、国際的周辺、時間的辺境という三つの〈辺〉に根拠をおきつつ」、松下は懲戒免職されいやおうなく社会的底辺に身を置くことになった。それと同じように国際的周辺、時間的辺境に自己身体を置いてみるという立場から発想してみるのが、松下の方法だった。
今日のミャンマー問題などでは、ミャンマーのしかも周辺部の少数民族の被害などもTV、netの画面などで身近に見聞することができる。国際的周辺からという視線を自分のものにするという課題も不可能ではない。孔子プラトンなどの古典も、そこに学問的権威を見るのではなく、太古の未開性といわれるもの、女系制の名残といわれるものとの葛藤としてそれを読み取っていくことができる。
「社会的底辺、国際的周辺、時間的辺境という三つの〈辺〉に根拠をおきつつ」という条件は、現在それに近づくことは困難ではないと考えたい。

註1に書かれた、三項目はとても魅力的かつ難解である。

「αーある声の誘いに応じて、長年にわたって手にしてきた〈網〉を拾てて、直ちに歩き出すことのできる魂の飢餓」
福音書で漁師が網を捨ててイエスについて行く情景を、美しくパラフレーズしている。このような一度読んだら忘れられない印象的なフレーズが松下には多い。
歩き出すといっても何処に行くのか?実際には松下は神戸大学から懲戒免職されても神大のふもとの小さな家に住み続けた。本を読み研究するといった態度を捨てるといったことが、松下本人には問われていただろう。評論文、小説などを書いて原稿料をもらうというのが、彼に可能な「かせぎ方」だったのだが、彼はそれすら拒否した。文章を売り、読者が買うという関係は、彼の意図する存在様式の変容に反する面があると彼は思ったのであろう。
さて、私にとって〈網を捨てる〉とは何か?twitterとかブログが私にとって習慣になっているなら、とりあえずそれは止めるべきだ、と松下は考えただろうか。
現在スマホを捨てることは、どんな人をも不安にさせることができる容易な手段となる。存在論的落差を思惟することができる契機をつかみそれについて思考することをやめないこと、それが大事だと松下は言っただろう。netやスマホ断ちをも含め、魂の飢餓を〈網を捨てる〉方向へ開いていくこと、そこに啓示の光を見出すことができるか?

 βー今後、何一つ〈日本〉語では表現しないで生きようとする意織

これは難しい。今後考え続けたい。

「γー〈天皇〉あるいは自分を爆破しうる武器を作りうる技術の総体」、今の時代はこのような端的な否定性を口にする人はいない。私もその勇気がない。
変革というときに、主体の暴力、加害という側面も考察しておかなければいけない。日本の戦後思想は国家暴力=軍隊の全否定からはじまり、それがすぐ骨抜きになった後も、非暴力的主体形成しか考えてこなかった。最大の例外が赤軍派東アジア反日武装戦線であった。それについて考えるとともに、次のことを考える必要がある。

2019.7月京都アニメーション放火殺人事件、2021.12月北新地ビル放火殺人事件のような、無差別テロといったものをどう捉えることができるかという問題である。

自己が依拠してきた発想や存在の様式、つまり日本社会というものとの関係が全く破綻してしまい、悪意を大量殺害という形で表現し、死刑になりたかったなどと言う。

日本国家に抑圧されている人々ではあろうが、日本国家による精神支配によって閉ざされ、階級闘争などといった敵を措定する能力を奪われ、悪意が殺意に至るまで高揚されてしまった。そうした例がいくつも出現している。
松下の〈反日〉という思考からもはみだすかもしれないこのような、存在の叫びの問題を含めて考え続けないといけない。