松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

近代的身体と僧院的身体

そして、解放後の歴史研究を支配してきた「亡命者史観」を克服し、植民地の「日常性」に立脚した歴史叙述を行うことが、現在何よりも求められているのである。。(並木真人)
http://rplib.ferris.ac.jp/il4/cont/01/G0000005ir/000/000/000000417.pdf

分断されつつも国家を獲得してから60年以上経ちやっと朝鮮半島では、「亡命者史観」の克服が語られてようとする。ダライ・ラマ周辺は文字どおり、亡命者なので、「亡命者史観の克服」なんて課題は百年早い、と言われるかもしれない。しかし、絶望絶望の連鎖による焼身自殺という行為を乗り越えるためには、この段階を克服することが、必要だ。
どのような希望を作ることができるのか。


フーコーの「規律権力としての近代」といった視点から次のように考えることができる、と並木は論じる。

植民地期の公教育を通じた「従順な身体」の形成過程が詳細に分析され、植民地期における公教育の目的の一つが、兵士型人間、産業型人間という新たな「人間類型」の要請であったことが明らかにされる。P12 同

私達が親しんでいる、義務教育-高校-大学 という平準化された人間作りである。日本では近代の終わりの時期にそれに危機感を持った人々による、日の丸・君が代強制が行われ、国民の従順性は増した。

一方、チベットでは、昔から「どの家庭も少なくとも一人の男子を僧院に送る(僧にさせる)のが普通」とされてきた。

チベットの僧院生活は厳しい。共同生活を営みながら、僧院内の分担仕事をこなし、あらゆる種類の宗教的儀礼を行い、独習もしなければならない。それは、早朝から深夜に及ぶ。年輩の僧は、規律を維持し集団を導く大きな責任を持つ。若い僧は当番で厨房の仕事、買出し、食事や茶の給仕などを担当する。


学習と礼拝が僧院生活の主題である。新入の僧は基礎チベット語、文法、文学、スートラの詠唱、祈祷から始める。次に、アビダルマ(形而上学)、プラジナパラミタ(智慧の完成)、プラマナ(論理学)、マディヤミカ(中間思想)といった仏教教理を学ぶ。学習期間は普通18年もしくはそれ以上かかるとされている。スートラ(顕教)とタントラ(密教)の仏教経典、その他、占星学、医学、絵画工芸も必須科目である。さらに仏教哲学の意味と暗示について分析思考し、何時間も黙想する。
http://www.tibethouse.jp/culture/monastery_education.html

このような教育について、McCreary氏は違和感を持ち次のように言ったわけだ。

チベットで必要な教育は「仏教教育」でなくて、いかに効率よく金をもうけるか、いかに家畜を育てるかといった実利に利すること、民主主義とはなにか、権利や義務とはなにかといったこと、あるいは科学技術でも医学でもいいですが、そういうことを学ぶことじゃない?
http://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/a39b37f789b69f015019ee9fed0a4466

しかし、中国国内では、「いかに家畜を育てるか」「いかに効率よく金をもうけるか」を試みるための土地などを政府によって奪われているのだ。*1


少なくとも日本のような先進国では「アビダルマ(形而上学)、プラジナパラミタ(智慧の完成)、プラマナ(論理学)、マディヤミカ(中間思想)といった仏教教理を学ぶ」事は意味あることではないか。それらがばかばかしい無意味な言説にすぎないと考えるのは偏見でしかない。チベットや亡命地でも、あるいは辺境だからこそ、ポストモダンな生き方をせざるを得ないということがある。近代的な8時間労働ではなく、百人や千人に一人が、プログラミングや芸術などの分野で大きく儲けることができればそれでよい、事になると思う。


話が逸れたが、チベットにおける学校教育は、中国政府の熱心さの欠如と、チベット人が近代的学校教育に魅力を感じなかったという二つの面で、60年経っても成果を挙げなかった。おそらくそう言えるのではないか。チベット人には「僧院教育」ではダメだという意識は浸透しなかった。軍隊を規範とする近代を獲得すべきだという意識は浸透しなかった。
近代の劣等生であることは恥ずべきことだろうか。必ずしもそうではないと私は思う。

*1:「2002年から中国政府は主にチベット人遊牧民地帯において、定住政策を始め、土地を取り上げ、フェンスによる囲い込みを行っている。これにより彼らの生活は破壊された。」2007年6月、Human Rights Watch http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51785548.html