松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

ケンカしたって勝てる見込みがない場合は

McCreary氏から応答がない。

応答できないのだろう。
自分の歪んだ狭い認識空間において、気になる点があったので、「過度の仏教信仰やダライ・ラマ崇拝」を批判してみた。現実のチベット中華人民共和国当局による苛烈なチベット民族抑圧が数十年間続いている。その抑圧の苛烈さというものはMcCreary氏にとって知りたいものではないので、無視する、そのことによって彼の認識空間には入ってこない。
苛烈なチベット民族抑圧がないのに、なぜチベット人焼身自殺連鎖するのだろう、そのような前提でそれが問われるなら、チベット人は何かとほうもなく愚かな自殺愛好者のように見えてしまうのかもしれない。でその原因はというと、「過度の仏教信仰やダライ・ラマ崇拝」であるということになる。
McCreary氏の脳内ではこのような思考が流れているのかもしれない。

だいたいダライ・ラマが平和を唱えるのも、チベットが中国とケンカしたって勝てる見込みがないのだから、そうするのは当たり前。「戦争をしろ」なんて唱えるわけがない。そんなのは彼の人格以前の話です。

ていうか、もし「戦争しろ」とか「戦え」とダライ・ラマが説法したら、それは安全地帯から他人に向かって「死ね」というようなものでしょう。中国はなんであろうと容赦なく弾圧します。
http://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/a39b37f789b69f015019ee9fed0a4466

チベットが中国とケンカしたって勝てる見込みがないのだから、そうするのは当たり前。」をパレスチナに当てはめれば、「ガザがイスラエルとケンカしたって勝てる見込みがないのだから、そうする(武装放棄)のは当たり前」そうしないのはハマスが気が狂ったテロリストだからだ、ということになります。現在の(国際)政治上の強者(である国家)による秩序が前提とされ、弱者には権利がない、と堂々と宣言されます。

おそらく、この文章をパレスチナに当てはめて考えてみるつもりはないのでしょう、McCreary氏は。チベットだけは例外的な遅れたエリアであり、遅れた人々が狂った行為(自傷行為)をするのはある意味で当然であり、「遅れている」ことを自ら立証しているだけだ、という理屈なのでしょう。


70年前に日本軍によって性奴隷にされた少女の苦難には涙するが*1、5年前に平和的デモに参加しただけで殺されたり、長期刑に処せられ拷問され*2ても、選択された情報しか入ってこない彼の狭い認識空間には、少なくとも重大なニュースとしては入ってこない。だから彼は今でも自分をまともな人間だと考えて生きているのだろう。
それは当然である。だれでも自分をまともな人間だと考えなければ生きていけない。

*1:それは正しいが

*2:「電気ショック棒を私の膣にむりやりねじ込みました」、2008年よりずっと前のそうした例、をブログに引用したことがあります。http://d.hatena.ne.jp/noharra/20120320#p1