松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

『花と兵隊』と幻の交歓

火野葦平の『花と兵隊』をようやっと読み終わった。難解な小説ではない。兵隊三部作を『土と兵隊』『麦と兵隊』の順に読み、3つ目だ。前二作と違い戦争シーンはほぼない。南京*1に続いて、杭州を陥落させた*2日本軍が、そこの守備をするその部隊に火野の部隊は含まれた。従って歩哨に立ったりする治安維持であり、敗残兵の出没はあるものの、交代制のサラリーマン的勤務となる。前二作では日本軍(皇軍)の遅々とした前進がそのまま小説の歩みとなっていた。したがって小説の巧拙を越えた迫力がおのずから備わることになった。今回は、小さな平和なエピソードがとりとめもなく羅列されているだけだ。一言で言うと「たるい」。


でも、後半はかなり面白かった。少し無理をして自分で意味付けをして読み込んだとしてだが。
つまりこの小説は「日本兵は「中国女」を抱けるのか?」みたいなテーマが、無意識領域に埋め込まれている。
日本軍が中国を侵略していく。火野がよく漏らす呟きは、敵が日本人と同じ顔つきをしている事への違和である。アジア(日本)の解放を大義として掲げた戦争であるのに、同じアジア人であることを端的に感じられる中国人と戦わなければならない。もちろん戦闘の最中はそのようなことは考える余地がないが捕虜の顔を見たりするある一瞬の隙に、そのような感慨が訪れるのだ。

火野はもちろんインテリだが戦争に対する態度は兵隊のものだ。つまり入隊〜従軍という圧倒的な受動性に規定される存在である。戦争観もそのような受動性に従う。つまり好戦的でもなければ嫌戦的でもない。平凡なサラリーマンが会社に親愛を持つだろうように、愚痴をいいながらもささやかな幸せを見つけて生きていく。
それでもイデオロギーは必要でありそれも軍が用意したものを受け入れる。つまりアジア主義的な心情である。観念によって生を規定しないので、現実を観念に合わせて無意識のうちに歪めてしまうことはしない。事実は事実として記載される。違和は違和として。


「アジア民族の解放、団結という理想への戦い」という理想は火野にとって自己と等身大の一つの思想だった。それは他の小説「歩哨線」にも見られる。池田浩士の分厚い『火野葦平論』(インパクト出版会)のp186あたりに紹介されていた。
それは、フィリピンのバタアンでの事。歩哨に立った日本兵が木の実を取っているフィリピン人を見付け木の実を拾うのを手伝ってやる話である。その後草むらには小銃が落ちているのを日本兵は発見する。敵を見逃し、手伝ってやったという大失策であるが、それに対し主人公は「或る意味ではきわめてうつくしい話である」と兵士に言ってなぐさめる。
これが戦争中に雑誌に公表され本にもなり出版されたのは不思議にも思える。しかし意外でもないのだ。「大東亜戦争」では短い戦闘の時期を経て広大な土地を占領することになった。占領者は植民者と同じ国土の支配者である。被支配者に対し安心と安堵を与え彼らの心服を勝ち取らなければならない。フィリピン人は、支配者としての日本軍においてあくまで善意でもってなつかせていくべき対象でありながら、未だ継続している戦争においては端的に敵であるという矛盾的存在であった。「きわめてうつくしい話である」という判断は可能性として方向性としては軍首脳によっても持たれた可能性がある。


支那人についてもまったく同じ事が言える。言い換えれば、それはすべての支那人はスパイかもしれないという疑心暗鬼としてあらわれる。
疑心暗鬼を疑心暗鬼として、相手に戸惑いを押し付けて解決するのではなく、火野は(おとこらしく)包容力をもって支那人たちに向き合う。
この小説のテーマはまさにそこにある。

・・・玉金はきょとんとしていたが、からかわれていると気附いたらしく、くるりと廻ると、何か頓狂な声をあげて、ばたばたと駈け出して行ってしまった。暫くすると、小隊長の宿舎と思われる所から、訳の判らない支那の歌を歌う玉金の声が傅わって来た。すると、もっと遠い所で、それに和す妙月の声が聞えた。(略)
すると暫くして、王が私に呼びかけ、今娘達が歌っていろのは何か解りますか、と云った。私が不明白(ブーミンバイ・解らない)と答えると、あれは抗日歌です、あきれた娘達だ、と玉は吐き出すように云い、直ぐに可笑しそうに、しかし、あの娘達は本当の意味を知らずに歌っているのでしょう、と附け加えた。それを聞いた私もちょつとあきれたのである。

大きな真紅の花瓣*3を持った牡丹の花園に、凄まじい嵐が起った。石の如き雨粒と、箒の如き風とが、この花園を襲ったけれども、牡丹の花瓣は魔法のごとく、或は戀の如く、千断られ、吹き折られる後から後からと無限に咲き出でた。そのような花園の比喩をもって、つまり日本の武力がいかに強くとも、支那は永遠に滅びることはない、ということを歌ったものです。

と王は娘達の歌っている歌の内容を説明した。しかしながら、と王は続けて、その取ってつけたようなわざとらしい抗日宣伝の文句は、何も娘達に関係はなく、その比喩の美しさと多くの抗日歌や、抗敵軍歌の雑駁(ざっぱく)極まる作曲に比べて、この「抗日牡丹の歌」に附せられた古風な作曲の哀婉さによって、多くの娘達に愛され、歌われているのです、俐巧な娘達は、花園に嵐が来て、幾度となく真紅の花瓣が甦(よみが)える部分ばかりを繰り返していますが、抗日的な疊句(リフレイン)は抹殺していますよ、と云った。私は耳を澄ましたけれど、王の話すのを聞き取るのさえやっとの思いの怪しい私の支那語では、抑揚をつけて歌う娘達の文句などは、全く聴き分けることが出来なかった。


ここで登場するのは、王起興という豆腐屋の息子*4と玉金、妙月という姉妹である。娘たちは大きな真紅の花瓣が風に吹かれて舞い散る、華麗なイメージの歌を歌う。王起興の解説によればこの唄は「抗日」の歌だと云う。嵐に襲われながら、牡丹の花瓣は魔法のごとく、或は戀の如く、千断られ、吹き折られる後から後からと無限に咲き出でる。ありえないイメージであるが美しい。強大な武力にまかせて侵略する日本軍の前に中国人たちはあえなく命を散らしてしまう、しかし命はどこからともなく再生し支那は永遠に滅びることはない、という祈りを込めた強いメッセージである。
そしてまたここで暗示されているのは、歌う女と聴いている男との間のシンクロである。王起興は玉金にほれていて、二人は後に結婚することになる。


歌う女と聴いている男との間のシンクロというエピソードは再度登場する。

宋の時代に標才仲という青年がありました。ある日、彼が昼寝をして居りますと、夢の中に一人の美しい女が現われ、長くひいた裳裾をひるがえしながら鈴をふるようなしかしなんとなくかなしげな声で歌を歌いました。

岸辺恋しやふるさとに
花落ち開きて幾星霜
燕子飛びかい春去れば
紗窓さらさら宵の雨

才仲は恍惚となって耳かたむけて居りましたが、歌が終ってふとその女を見あげますと、女は霞のように忽焉(こつえん)として消え去りました。

しかし今回はひどく間接的な話だ。ヒロインは蘇小小という伝説的な美女*5。そしてこの話があった宋の時代蘇小小はとっくに死んでいる。にもかかわらず、標才仲と蘇小小は世にも美しい恋をして、長く世間に伝えられている。
この小説で語っているのは、青蓮という教養ある美女であり聴いているのは「私」だ。

今、私たちがならんで話しているここらで、蘇小小と標才仲がふしぎな恋を語ったことがあったかも知れませんよ。

と彼女は語る。

是非ともお話ししなければならないことがあるのです。

彼女はまた、意味深にも「私」にそう告げる。ここは青蓮が「私」に求愛している場面に違いない。
しかし、「私」はそれに応えようとしない。


この男女の去就は何の暗喩なのであろうか。作品中の中国人はほとんど、半ばスパイとして造型されている。そして結果的に一人の中国女をも「私」は喜ばせる事ができない。大東亜戦争大義を奉じながら、火野はそれを作品中で歌い上げることができなかった。かれは中国人たちの現実をあまりにも身近に見聞し理解した。日本人として大東亜の大義を肯定しているという素直さはまた、火野においては、自分がみている中国の現実がそのヴィジョンで被えないことも事実として本能的に理解した。
「私」が相思相愛の青蓮を抱こうとしないのには、このような青蓮には思いも寄らない不思議な訳があった。

私達の乗った舟は次第に湖心へ出て行った。殆んど波のない水面に私達の舟がかすかな波を起す。湖岸は多少潤っているが、湖心へ出るにつれて青黒い底がはっきりと見えるほど澄んで来て、平ぺたいしゃもじのような櫂で船頭が水をかくと、湧き起る白い水泡とともに、灰のような水の泥がもくもくと転がるように捲き上がる。そんなに浅いのである。どこまで行っても水深が変わらない。はまえんどうに似た水藻がじっと動かずに水底を這っている。魚の姿は見えない。

 舟は湖心へ出て行く。標才仲と蘇小小の最後の時のように。時間はゆっくり流れる。わたしたち読者は、この文章の裏側に、ありうべきであったところの、青蓮と「私」との激しい交歓を幻視する。
大東亜の幻は、幻として美しく定着された。


補遺として、『花と兵隊』から支那人の描写の場面二つを抜書する。また池田浩士火野葦平論の一部も抜書しておきます。*6

*1:南京!!

*2:正確な順序は未確認

*3:花弁と同じ

*4:抗日伝単を持っていた

*5:南齊の名妓。李賀の詩などで有名。http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi3_07/rs210.htm

*6:火野葦平論―海外進出文学論〈第1部〉インパクト出版 中古品の出品:7¥ 2,800より