松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

楊海英先生を囲む会のご案内

楊海英先生を囲む会

日時:5月26日、土曜日

第一部 15:00−16:45 講演・質疑・討論
テーマ「中国文化大革命とモンゴル人ジェノサイド」


第二部 17:00−19:00 懇親会、サイン会


 場所:fermata(レストラン、貸し切り、素敵な雰囲気とシェフ)
阪神本線野田駅より南西へ徒歩5分
地下鉄・野田阪神駅、7番出口から徒歩3分
JR東西線海老江駅より南西へ徒歩5分
    三菱東京UFJ銀行の通りを入り、あさひ薬局の向かい。
  電話 06−6441−6673
  住所 553-0006 大阪市福島区吉野2-10-12 ゴールデンラピス103号

参加費:第一部 1500円
第二部 5000円
(食事、飲み放題・自家製サングリア、ワイン、カクテルなど)
コーディネーター: 劉燕子 Yanzi@mta.biglobe.ne.jp

 楊海英先生のプロフィール:
  モンゴル名はオーノス・チョクト、それを翻訳した日本名は大野旭。1964年に内モンゴル自治区オルドスに生まれる。1989年3月に来日。国立民族学博物館、総合研究大学院博士課程修了、文学博士。静岡大学教授。主な著書に『墓標なき草原』(岩波書店、第14階司馬遼太郎賞受賞)、『続・墓標なき草原』(岩波書店)など多数。

<講演レジュメ>
中国文化大革命とモンゴル人ジェノサイド


―1960年代における少数民族大量虐殺事件から中国の民族問題を考える―
楊海英(大野旭)  静岡大学


 マルクス・レーニン主義を信奉する社会主義者たちは「民族の消滅」を理想に掲げ、そのために闘争してきた歴史がある。中国共産党文化大革命(1966-76)中に、彼らが得意としてきた暴力で以て「民族の消滅」を実現させようとした。内モンゴル自治区では、この地域が中国領とされたがゆえに、モンゴル人を対象とした大量虐殺事件が発生した。中国文化大革命中の1967年末期から1970年初頭にかけて、内モンゴル自治区で発生した「内モンゴル人民革命党員大量虐殺事件」である。私は事件をジェノサイド研究の視点からアプローチしてきた。

国連はジェノサイドを次のように定義している。

集団殺害とは、国民的、人種的、民族的又は宗教的な集団の全部又は一部を破壊する意図をもって行われる次の行為をいう。

a)集団の構成員を殺すこと
b)当該集団の構成員の肉体又は精神に重大な危害を加えること
c)集団の全部又は一部の肉体的破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に故意に課すること
d)集団内における出生を妨げることを意図する措置を課すること
e)集団の児童を他の集団に強制的に移すこと。

大量虐殺の対象となった「内モンゴル人民革命党」は、モンゴル民族の自決と独立のために、1925年にモンゴル人民共和国コミンテルンの支持と関与のもとで成立した政党である。その後、日本統治時代を経て、第二次世界大戦後にモンゴル人民共和国との統一を目指したが、中国共産党によって阻止された。文化大革命中に「内モンゴル人民革命党の歴史は偉大な祖国を分裂させる運動である」と毛澤東・中国共産党中央委員会から断罪され、モンゴル人のエリートたちを根こそぎ粛清する殺戮が発動されたのである。

私は、従来から研究者たちによって指摘されている「国民国家型ジェノサイド」理論に沿って、ジェノサイドと近代の諸原理とりわけ国民国家民族自決の問題との関連性に焦点をあてて研究を進めている。国民国家たる中国からの統合と、その統合に反対して別の国民国家を建設しようとしたモンゴル人たちが大量虐殺の対象にされた経緯を分析したものである。「モンゴル人ジェノサイド」に社会主義中国の対少数民族政策の強権的、暴力的な本質が内包されている。


キーワード: ジェノサイド, 文化大革命, 内モンゴル人民革命党, 内モンゴル

この会は何かの組織ではなく、志はありますが、独立した立場の人々が自由に語りあう場です。お互いの意見を尊重し、質の高い議論を交わしつつ、現場から発信されている生き生きとした情報を共有し、新たな公共空間の創造(自己組織)を目指します。

 予約の都合がありますので、なるべく早めにご参加の可否をご連絡ください。心よりお待ちしています。

劉燕子氏主催の大阪野田での、囲む会です。
楊海英氏を紹介するため、『続・墓標なき草原』に対する自身による書評を劉燕子氏は掲載しています。

言葉は涙の底へ落ちていった―人道に反する犯罪を裁くための「序章」―
                                  劉燕子


 『続・墓標なき草原』は、第一四回司馬遼太郎賞を受賞した『墓標なき草原』全二巻の続編であり、三巻を合わせると約九〇〇頁に及ぶ大著である。

楊海英氏は中国・内モンゴル自治区文革期におけるモンゴル人大量殺戮(ジェノサイド)を生き抜いた貴重な証人の生の声を真摯に聞くとともに、文献資料と照らしあわせて検証し、想像を絶する被害の実態を明らかにしている。楊氏はまた『モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料』を二〇〇九年から毎年公刊し、これまで計二七〇〇頁に及ぶ膨大な資料を提出している(今後も続き全一〇巻の計画)。まさに正続『墓標なき草原』はこの精緻な基礎研究に基づき、歴史の暗闇に葬り去られた史実を明らかにしたものである。私は漢民族の一人としてこの残忍極まりない史実を知し、痛切な罪責感に打ちのめされたが、良知とは何かと子細に深く考えなおす契機(モーメント)となった。

 本書終章は、文革期の身体的ジェノサイドに加えて、現在ではモンゴル人は「ネーション」ではなく「エスニック・グループ」であるなどのレトリックが使われ、民族の精神的絶滅まで押し進められるという「文化的ジェノサイド」の実状を剔抉している。歴史の真相究明、謝罪、賠償に逆行して史実を隠蔽するどころか、ますますジェノサイドを徹底化しているのである。そして、これは中国現代史における本質的な問題の現れなのである。何故なら、チベット人女流作家ツェリン・オーセル氏は写真、証言、史料に基づきチベット文革を永遠に回復できない程の被害という意味を込めて「殺劫」と概括するなど、他の民族でも被害は甚大で、今もなお深刻な禍根が残されているからである。

 そして、私はシンボルスカ(一九九六年ノーベル文学賞受賞)の詩句を想起する。「言葉は涙の底に落ちていった」というように、暴力に対して言葉は無力のように見えるが、しかし言葉は「死者を呼び戻」すこともできる。そして正続『墓標なき草原』の言葉一つ一つは虐殺された死者を甦らせ、ジェノサイドを証言せしめている。それを可能にしたのは、確かな基礎研究に裏づけられた強靱な底力であり、だからこそ、楊氏は悠揚と「坂の上の雲」は「確実にモンゴルの青空の上を美しく飛んでいます」と結んでいる。このようにして、読者は身体的・精神的ジェノサイドを凌駕する強靱かつ健朗な精神に励まされ、無数の残虐な暴力を乗り越え、記憶のモニュメントを現代史に構築できるという確信を得られる。

さらに、楊氏の独特の悲哀を漂わせた雄勁な筆致には、大草原で育まれた血脈ならではの気高く骨太な風格があり、その力強いメッセージは読了して終わりというものではない。この意味で、本書は時効のない人道に反する犯罪を裁くべく将来開かれる法廷の「序章」であることが分かるだろう。まさに、本書は絶望的な暗闇に光を織りなし、読み継がれていく歴史に残る良書である。


「時効のない人道に反する犯罪」という述語は、東アジアで最強の権力に対してあまりにも明確過ぎる決め付けだ、と感じる人も多いかもしれない。ただ楊氏も劉氏も現在の大国の存在自体を断罪しようとしているわけではない。
『墓標なき草原』上下は私(野原)も読みました。1945年頃から文革期まで、独立をめざした夢やぶれ、そればかりかすべてを失っていくモンゴル人たちの姿が活写されていました。モンゴル人の大小の政治指導者、多少とも目立ったインテリ等はこの歴史の荒波の中でほとんどの人が殺されるか廃人に突き落とされるほどの暴行を受けます。歴史の荒波。乱暴に確率で整理すると、漢人だって暴行を受けなかった訳ではないが、運が悪かったともいえる程度の確率。それに対し、モンゴル人の場合すべての人が過酷な運命に見舞われる、なんとか無事にくぐり抜けられた人の方が少ない、という感じだ。だから強い形容詞を使うことには反対しない。*1


「超多忙の楊海英先生が貴重なお時間を割いてくださいます。
先生の調査研究を通して痛みを分ちあい、未来をともに語りあいましょう。」という劉燕子氏の言葉で、お誘いとしたい。

*1:右傾化の日本においては「親中→←反中」といった間違った二項対立図式に物事を還元しようとする人が増えている。そうした平板な図式や、否定するのことが難しいとはいえ国家というものの力学に還元することには反対だ。