「大東亜戦争の大義」をめぐって(3)
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20111215 の続き。
「大東亜戦争の大義は白人帝国主義者どもの世界支配の転覆である」と言えるかどうか?を、私はid:dj19 さんとid:bogus-simotukare さんに 説明しなければならない。
一度書いたのだが、シモツカレ氏に消されてしまったのだ。
さて、その前に「大東亜戦争(アジア太平洋戦争)」についてどう考えるかを書いておきたい。*1
この問題を考えるのに一番大事な点は、次の鶴見俊輔の文にあると私は思ってきた。*2
日本敗北に続く年月に、日本人は米国政府から貸与された眼鏡を通して過去を見て、この戦争を主として米国に対する戦争として考えるようになり、こうして、中国との戦争という脈絡からこの戦争を切り離すようになりました。そうすることによって、日本人は、長いあいだ軍事上の弱者として見てきた中国に負けたという不名誉な事実を見ないですますことができました。*3
日本人が戦争を振り返る時、8.15の次に重視するのは12.8(対英米戦争開始)であり、盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)1937年(昭和12年)7月7日も、柳条湖事件1931年(昭和6年、民国20年)9月18日も記念日として振り返られることはありません。
1931年から45年まで続いたこの戦争に対して、私が十五年戦争という名前をつけるように提案したのは、この戦争を1931年に始まった「満洲事変」からの不連続のようにみえて連続する戦闘状態の脈絡のなかにおくためでした。もう一つ(略)「満洲事変」とか「上海事変」とか「日支事変」とか、そういう別々の名前のついた別の戦闘状態のように感じさせられてきたからです。これがわれわれ日本人のもっている主観的な事実で、これをこわさないと、この戦争状態の全体に対する認識はできないように思ったからです。(同)
でこの長期間の巨大な戦争がどのようなプログラム、ヴィジョンによってなされたのか、というとそうしたものは何もないのです。なんということでしょう!そしてこの地球大のスキャンダルに対して今もって、「これは自衛戦争である」とか言いたがる人っていったい何なんでしょうか?実力主義とかリーダーシップとか言いたがる人がそうであるとしたらこれはもう、絶句するしかない矛盾だと感じられます。
満洲国を作った石原莞爾はビジョンを持っていました。「最終戦争である日米決戦に備えるため」*4に、満洲及び中国地域を日本に親和的な形で安定させなければいけない。そのために満洲国を作ったのですね。従って「中国との戦争を長引かせてはいけない」のは最初で最大の課題となります。そのためには心のそこからの日中友好も必要になります。
しかし前回*5述べたように、そういう勢力は、満洲からそして軍隊首脳部からもあっさり追い払われてしまいます。
石原莞爾陸軍中将は(略)、この戦争の初期に責任ある地位から締め出され、特に1937年以後は戦争を続けていくことに対して、彼自身が反対する立場をとりました。ですからこの長い戦争が続いていったのは、それを止める力を日本政府がもっていなかったという理由に基づくものです。それが、この戦争に関する真実でした。日本文化の本来持っている鎖国性という条件がなければ、このような戦争は続けられなかったにちがいありません。(p70同書)
というわけであまりにも巨大な戦争であったわりに、統一したヴィジョンが不在であるそうした戦争であったわけです。で「大義」は後付けの形で、1938年以降ぐらいに、石原ヴィジョンを焼き直す形で登場します。長くなったので(4)に続く。