松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

「大東亜戦争の大義」をめぐって(4)

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20111217#p1 の続き。
 戦前と戦後で全く違ってしまったものは、中国という国に対するイメージです。戦後になると、蒋介石あるいは毛沢東という強大な国家権力をほしいままにする求心的(集権的)国家のイメージです。しかし敗戦以前は「1、中国は弱い、従って日本は中国との戦争に勝つ」「2、中国は分裂状態を脱し得ず、統一国家を形成できない」が絶対多数の共通認識だった。」*1
それを背景に、「満蒙は日本の生命線」という表現が1931年ごろ流行語になり、満洲建国が行われます。


・・・
37年12月の南京大虐殺の翌年、38年11月3日及び12月22日に総理大臣近衛文麿(第1次37.6.4〜39.1.5)が「東亜新秩序声明」を発表します。
直後に近衛のブレーンだった尾崎秀実が「「東亜協同体」の理念とその成立の客観的基礎」という論文を中央公論に発表します。
http://binder.gozaru.jp/ozaki.htm こちらに全文が載っているので、読んで要点を抜書してみよう。


支那の征服にあらずして、支那との協力にある」「東亜諸国をつらねて真に道義的基礎に立つ自主連帯の新組織を建設する」等の言葉を声明から尾崎は抜き出す、そしてそれによって、「新秩序」が帯びるべき特性と輪郭は、「東亜協同体」的相貌を示す、と宣言する。*2


東亜協同体をポジティブに記述するのではなく、こうものではないという形で、尾崎は輪郭をはっきりさせていこうとする。
「筆者は元来「東亜協同体」論の発生の必然性を見、その将来の発展可能性を信ずるものである。」しかし「元来「東亜協同体」の理念が日本資本主義現状維持派によって支持される理由はあまりないはずである。」

「東亜における新秩序」ないし「東亜協同体」を一つの新しい理念として、またこれを一つの実践形態として理解しえない人々はかなり多いように見受けられる。最近におけるこの歴史的大事件によって、戦いの相手方たる支那のみが変わったと考え、自分たちの足下は絶対に動くことがないと考えている人々にとっては、この協同体の理念は絶対に理解できないところである。またある人々は東亜協同体の理念が、戦勝者たる日本が東亜大陸における覇業を確立するための手段であるとし、または覇業を緩和して示すための外衣にすぎないとするのである。(尾崎 二)

「帝国は支那国民が能く我が真意を理解し、以て帝国の協力に応へむことを期待す。」近衛首相はこの様に述べており、軍事行動を起こしながらDV男のように相手の理解がないと文句を言っているように聞こえるが、そうであってはならないと尾崎は論じる。


東亜協同体論は資源追求主義的なものであってはならない。

 資源追求主義、ないしはこれを中核とせる経済ブロック論のごときはその道徳性を問題とするまでもなく、現実の問題として、開発資金の問題において、治安の問題において、はたまた戦争遂行と睨みあわせた一般的な経済上の余裕の問題において、成り立ちえないのである。(尾崎 二)


支那をどう理解するか?半封建性と半植民地性といったことがあげつらわれる。しかしそれより、一般的にして普遍的なる民族の問題が決定的に重大であると理解すべきである。

 支那における民族問題の動向は現在において完全に日本と背馳するを方向にあるのである。これに対して力のみをもって抑えかつ方向を転ぜしめんと試みることが、いかに多大の力を要するかは容易に想像しうるところであり、かつその困難はわれわれが現実に味わいつつあるのである。
 「東亜協同体」の理論は、事変以来の民族問題とのはげしい体当たりの教訓から生まれ来ったものであることは十分了解できるところであろう。(尾崎 三)

満洲事変から7年後、日本は中国を弱体化させることはできずかえって膨大な大衆をナショナリズムに目覚めさせてしまった。ありていに言うと「きみたちは認識したくないから分かってないみたいだが」民族問題こそが核心であるとそこを理解しなければならないよ、尾崎は言っている。

 しかしながら真実の東亜協同体は支那民族の不承不承ではなしの積極的参加がなくしては成り立ちえないのである。それは決定的な事実なのである。このことは東亜協同体論が始められた動機や、その政治的方策として取りあげられた理由よりは、さらに深いところに位置している厳然たる事実である。(尾崎 四)

当然のことである。

 蒋介石は十一月一日の全国民に告ぐるの書において、「中国の抗戦は普通の歴史上における両国の争覇戦ではなく民族戦争、革命戦争であること、しかも民族革命の長期戦争は必ず最後の勝利を得ること」を述べているのである。
 民族問題との対比において「東亜協同体」論がいかに惨めにも小さいかはこれをはっきりと自ら認識すべきである。(尾崎 五)

東亜協同体は必須である。しかもそれは真実のものでなければならない。つまり日本人自らの身を削り、中日平等を実際に実現しようとするものでないとダメだ。ダメというのは「その道徳性を問題とするまでもなく」、実際に絶え間なく沸いてくる抗日派彼らを越える論理性、思想性を持たないヴィジョンは無価値、逆効果だからだ、と尾崎は言っているようだ。


以上、尾崎秀実における「大東亜戦争大義」について概観した。尾崎の論は「白人帝国主義者どもの世界支配の転覆である」を強調するものではないが、「真実の日中友好」を追求するものであり、「白人帝国主義者どもの世界支配の転覆」ともよく合致するものであると理解できた。(続く)

目的は植民地の拡大論

「大東亜宣言って口から出任せで日本のあの戦争での目的は植民地の拡大ですよ」
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20111209/5643098721

当時の現状が「植民地の拡大」と指摘されるべきものであったことは、尾崎も指摘している。
「日本のあの戦争での目的は」これこれこうだと、あらかじめ結論があって歴史を裁断する態度、に反対している。
「日本のあの戦争での目的」は、明確には存在しなかった。つまりバカっぽい戦争だった、というのが事実であるようだ。

41年12月8日の〈覚醒〉

41年12月8日の〈覚醒〉によって、大義は国民(ほとんど)のものになった。
それについて書かなければならないのだが、論争相手が議論の中身に入ってきてくれないこともあり中断している。今後勉強して補充していきます。(1/7記)

*1:今井 隆太library.nakanishi.ac.jp/kiyou/gakugei(5)/05imai.pdf

*2:「「東亜協同体」の理念はすでに古いものであろう。満洲国成立の際の王道主義も、「八紘一宇」の精神も根本において「協同体」の観念と相通ずるものがあると思われる。またそれは、「東亜連盟」の思想とともに、「大亜細亜主義」論の流れをも汲むものでもあろう。しかしながら現下の状勢のもとにおける「新秩序」の実現手段として現われた「東亜協同体」は、まさしく日支事変の進行過程の生んだ歴史的産物である。」とある。