松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

新しい星の発見

(1572年)11月11日の夕方日没のころ、例によって明るい天空の星を見つめていると、他の星々よりもなお目立ち、私の頭上近くで輝いている新しくて見慣れない星が見えた。そうして私は、ほとんど子供のころからすべての星の姿を知りつくし --これはそんなにむずかしいことではない-- 、また、それ以前にこの場所に星、こんな明るい星はもとよりごくかすかな星さえあったためしがないことは確信があったから、このことを非常にけげんに思い、あえて自分の観測を疑ってみようとしたほどだった。
(p93 山本義隆『重力と力学的世界』)

星を見る人として最も有名なのはチコ・ブラーエである。望遠鏡発明以前つまり肉眼で非常に正確で膨大な天文記録を残した。その記録を元にケプラーケプラーの法則(惑星の運行に関する3つの法則、1609〜1619に発表)を発見した。
上の文章にあるように幼い頃から星が好きですべて知っているとさえ思っていた。これは傲慢な言い方に聞こえるがそんなことはない、のだろうと想像する。星は恒星という通り10年でも20年でも正確に正しい場所に存在する(一日で一周しまた季節によって少しずつずれるけど)ものなので一度頭に入れてしまえば間違うことはない。
それが新しい星を見つけてしまったので興奮した。それは単にチコのプライドの問題ではない。

しかし、他の人たちも同じ場所に星がみえたことを確認したとき、私はもう疑い得なかった。疑いもなく奇蹟、宇宙創成以来自然界に生じた最大の奇蹟であるか、また『聖書』に書かれてあるような、ヨシュアの願いに応じて太陽が逆行したときの奇蹟、あるいは十字架刑のときの日食にも比べられる奇蹟であった。(同)

それにしてもたかが星一つでこの驚愕の大きさはなんだろう。私たちには分かりにくい。

なぜなら、天の精気の領域では、生成であれ消滅であれ、変化が行なわれえないことは、また天や天体は大きくも小さくもならず、数や大きさや明るさその他も変化をうけず、あらゆる年月にもかかわらず常に同一のもの、またあらゆる点で似たものとして止まることはすべて哲学者の一致を見ている点であるし、事実がこれを証明するからである。(同)

つまり星の問題は単に天文学の問題ではなかった。彼らの知の根拠を支える宇宙論、哲学の重要な柱であったのだ。
星がいつでも定まった位置に存在することそれは、「月より上の世界は生成も消滅もない完全な物質ーー第五元素(エーテル)ーーよりなる均質で不変の世界であり、そこで許される形状は球と円だけであり、そこに可能な運動がつねに等速である」こととして中世の間ずっと絶対的真理であった。それは神の栄光の証(あかし)でありまた、地上の身分制社会の正しさをあかすものでもあったのだ。
「その年、聖バーソロミューでのユグノーの大虐殺やオランダでの新教徒虐殺などが相次いで起こったこともあって、人心が動揺しヨーロッパ中が騒然とした。(同)」


一つの超新星の発見は*1、ブラーエの世界観に大きな衝撃を与えた。世間の人もみなそれを見た。しかしそれで月より上の世界の不変性(アリストテレス宇宙論)という当時の常識が一挙に崩壊したわけではない。
30年後に出たガリレイの『天文対話』においては、この新星が月より上の現象であることの「いくつかの観測値にもとづいた、うんざりするほど詳細な証明を述べている*2」。つまりアリストテレス宇宙論を守るためにこの星(に見えるもの)が月下の現象であると強弁するあまたの言説が何十年も生産され続けたわけだ。だからそれに反論する必要があった。


400年以上前の話である。今日宇宙といえば、小中学生はビッグバンと応えるだろう。浅はかなことだ。アインシュタインニュートン物理学を否定したというのは事態の半面にすぎず残りの半面では(つまり普通の生活の範囲では)ニュートン物理学は依然として正しい。同じようにチコ・ブラーエが信じた天体の不変性も捨て去るのが正しいわけではない。
不変性を信じるものだけが、衝撃を受ける。そしてその衝撃を生涯を掛けて消化ことにより、〈新しいもの〉を生み出すのだ。


私たちは新しい物を見てもそれを新しい物だとは認識できない。ふと戸惑いを感じるが、気のせいかもしれないと翌日には忘れてしまう。


小さな矛盾に、気づき、その疑問を関係者に聞いて回ったところ疑問はどんどん拡大していく。そのように一点を守りつづけることが、宇宙論の転倒につながることがある。
それは比喩的には、私のような平凡な人間にも起こりうることだ。


福島原発メルトダウンの噂を聞きながら。

*1:一ヶ月後にもっとも明るくなり1574年には消滅した

*2:同書、p94