松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

なぜレヴィナスなのか

そして私は他者を殺しうる。しかし、それは他者の顔と対面しないときにおいてのみ可能となる。殺人への誘惑、他者の否定への誘惑は同時に顔の誘惑でもある。存在の拓けのなかで出会われる「顔」を人は殺すことができない。そしてそのような対面は言葉・言説において可能となる。
ja.wikipedia:レヴィナス

 「顔」を見なければ人を殺すことはどんどんできるわけですね。これがガザ空爆です。